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「落ち着きましたか?」

 私は力なく頷く。

 今まで着ていた血で汚れた上着を脱がせてもらい、薄いティシャツの上には岬(みさき)と名乗る男性の濃紺のスーツが肩にかけられていた。

 私は新堂と2人で座り込み、岬は少し離れた所で立ったまま、腕を負傷した上に手錠を嵌められた巨漢が動かないか見張りを続けている。

 どうやらこの2人の男性は本庁の刑事課の人達で、指名手配犯を追っている最中に私が通りかかったらしかった。

 指名手配犯相手には発砲しても良いのか、今も少し顔を右に向けると、左腕を打ち抜かれた男が転がっている。

 とにかく、血の匂いがする。その匂いがとれない気がして、とても平常心ではいられなかった。

 くんっと、左側から煙草の匂いが漂ってくる。

 もともとタバコは吸わないので苦手なにおいだが、今はとても良い香りに思えた。

「ライターあったんですか……」

 私は、力なく新堂という男性に話しかけた。

「あぁ……、足元に落ちてた」

「血……結構出てますけど……」

 最初に額の血を見た時すごいケガだと思ったが、今は見比べる対象ができると、額の方は平常心で見られる。既に血は固まったようだが、傷は癒えていないに違いない。

「大丈夫ですよ、この男は殺したって死にませんから。墓ん中からでも、タバコ吸いに出て来るような奴ですよ」

 岬は平然と侮辱している。

「タバコですか……」

 私は、新堂を見上げて呟いた。

「タバコがありゃなんもいらねえってゆー、一種の中毒ヤローですよ」

「あぁ、そういう人、たまにいますよね……」

「タバコナメてっとヒデー目に遭うぞ、コラ!!」

 新堂の突っ込みをそのままに、岬は話題を変えた。年齢的には新堂の方が上司のような気がするが、逆だろうか?  いや、敬語を使っている辺りからそれはないか。

「にしても、アンタこの辺りの人? こんなとこなんでうろついてたわけ?」

 岬はじっとこちらを見つめて聞く。

「……全然……。私、ショッピングモールに……。あ、ショッピングモールにパンフレットを……」

 ……あれ? えっと、なんだっけ。

「住所は? 後で送っていきますよ」

「……私…………」

「家族は? 来てくれそうですか?」

「……父、母……は、死んだし……」

 あれ、……。

「…………」

 辺りが静まりかえる。あれ、私、今まで何してたんだろう。何でここに来たんだろう。ショッピングモールって、なんだろう。

「とりあえず、住所は?」

 岬に再度聞かれた。

「…………」

 答えられない。住所、住所がどこだったか、分からない。

 日本? 東京? あれ、私、何で……。

「おーい、おーい!! 雪乃(ゆきの)さーん!!」

 遠くの方から、手を振りながら走って来る女性が見えた。モスグリーンのエプロンをした、ズボンも緑の掃除婦のようだ。

 私は後ろを振り返った。ところで、コンテナが高くそびえたっているだけ。

「おい。アンタのことだろ?」

 新堂に言われて初めて気が付いた。

 雪、乃……?

 それが私の名前だっただろうか?