「中に入ろう」と言いたかっただけなのに、日本語は実に難しい。

 結局先生が私を家の中に入れてくれたのはそれからしばらく経って、半ば裸に近い状態になってからだった。

「お腹すいたな」

 先に身なりを整えた先生は、口づけてくる。

 だが、私はそれにうまく応えられるほどの体力は残っておらず、ただぼんやりとソファの起毛を見つめた。

「早く服着ないと風邪引くよ」

 笑いながら、私の服をわざわざ着せてくれる。恥ずかしい反面嬉しく、私はただ先生のなすがままに服を着直した。

「今日は俺が作るよ。桜はそれどころじゃなさそうだから」

 言いながら、台所に入って行ってしまう。

 私は1人リビングに残されて台所で料理を作る先生の後姿を見つめながら、この暖かな空気にとても満足していた。

 優しい先生のそばにいたい。

 もっと、そばにいたい。

 そう思うと同時に自然に立ち上がり、台所に入って行った。

 手伝おうと思ったわけではない。

 ただ、そのティシャツの背中に触れていたかった。

 腰に両腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。

 深く目を閉じ、シャツに顔を擦り付ける。

「……」

 先生は何も言わず手を止め、こちらに向き直ると抱きしめ返してきた。

「ずっとそばにいようか」

 独り言のような言い方であったが、きちんと心に伝わってくる。なぜならそれは、私も今同じことを思ったからだった。

 不安はなかった。

 知り合って間がなく、先生がどんな風なのかよく知りえていない。事実そうなのに、先生の全てなら許容できると思った。

 先生だから、受け入れたいと思った。

 お互い、両腕に力を込める。

 幸せというのはこういうことなのかもしれなかった。

 何も言わなくても、全部分かり合い、許しあい、受け入れあえている。

 そういうことなのかもしれなかった。