わたしはミウチェちゃんに従って部屋を出た。
長い長い廊下を歩いて、何回も角を曲がって辿り着いたのは、中庭に面した角部屋。
中に入ると、引越しした後みたいに部屋はがらんとしていた。
あるのは、マットの敷いていないベッドと記号が規則正しく並んだ掛け軸みたいなものだけ。

「ここを使ってちょうだい。足りないものはすぐに後で運ばせるから」
「あ、ありがとう、ミウチェちゃん」
「いいのよ」
わたしの言葉に、にっこりと微笑み返すミウチェちゃん。
そして、ちょっと待ってて、と言うと、どこからか女の人達を大勢呼んで来た。
ミウチェちゃんが言うには、ミウチェちゃんのお世話やこのお屋敷の手入れをする「侍女」なんだって。
みんな紺色のワンピースのような服を着てて、テキパキと部屋を片付けてしまうと、運べるものは全部運んでくれた。
ほこりは拭われ、お布団にテーブルに椅子、カーテン、屏風のような仕切り、替えの服と靴、それに手拭いと、何から何まで用意された。
ホテルのサービスだって、こんなにしてくれないんじゃないかっていうくらいに、色んなものを渡された。

侍女さん達が去っていき、わたしはミウチェちゃんと、すっかり立派になった部屋を眺めた。

「うーん、足りないものは何かないかしら?」
「え、えっと、こんなにたくさんあったら十分なんじゃないかなぁ……」
わたしが言うと、ミウチェちゃんはちょっと顔を赤くした。
「そ、そうかしら……」
「うん……」
「私、よくやり過ぎだって言われるのよね……」
ほぅ、とため息を吐くミウチェちゃん。
なんて言うか、ちょっと天然さんなのかなぁ?
ミウチェちゃんが不安そうなので、もう一度部屋を見渡すけれど、何か不足しているようには思えない。
そういえば、壁にかかっている掛け軸はそのまま。
随分年季が入っている品のように見える。
「ねぇ、ミウチェちゃん。この掛け軸って何なのかなぁ? 記号がたくさん書いてるけど……」
「それは暦よ」
「こよみ……」
カレンダーってことなんだね、きっと。
わたしはカレンダーを手に取ってみる。
英語どころか、数字も見当たらない。
「あら、この暦随分昔のだわ」
ミウチェちゃんはそう言ったけど、わたしには今のだとか昔のだとかすらも分からない。
本当に知らない場所なんだなぁ、と行き場のない寂しさがふと頭を過ぎった。

「どうかした?」

ミウチェちゃんの声にはっとして、わたしは出来るだけ明るく聞いた。
「えっと、わたしの知ってるのとは随分違うなーって。文字も全く読めなくて……」
ダメ、暗く考えちゃいけない。
わたしはモヤモヤした気持ちを頭の隅へ追いやった。
ミウチェちゃんは目を瞬かせた。
「? 暦の様式が違うってこと?」
「うーん、多分」
「それじゃあ不便でしょうね……」
ミウチェちゃんはうんうんと考えを巡らせるような仕草をして見せた。
「よし、後でお父様に頼んで文字を教えてくれる人を遣してもらうわ。それと、暦の読み方くらいは私が教えてあげる」
ミウチェちゃんはそう言うと、早速新しい暦を持ってきてくれた。
2人でベッドに腰掛けて、暦を眺める。
「これが月で、これが日にち。で、今日は、雨降の月の……」
ミウチェちゃんの指が文字を上から下になぞって、右から2行目の2つめの文字で止めた。
「日射の日。明日はその下の南中の日、明後日は更にその下。それから、7日経つと左の行の一番上に戻るの」
掛け軸をよく見ると、記号は横に5つ、縦に7つ記号並んでいて、ひとつとして同じ文字はない。
つまり、数字で表すことはなくて、カレンダーは縦書きってことだ。
「ちなみに、先月は若芽の月、来月は光降の月よ。その次は斜陽の月」
「ふーん……覚えるの大変そうだね」
「大丈夫よ、すぐ覚えられるわ」

それからしばらくここでの生活の話をして過ごした。
部屋で過ごしてばかりもいられないから、簡単な地図を書いてもらって、どこに何があるのか教えてもらう。
しばらくは地図を頼りに出歩くことになりそう。
それくらいこのお屋敷は広くて複雑な造りだった。

日本のことも話した。
相変わらずここはどこなのか、日本からはどれくらい離れているのかも分からない。
そもそも、地球の上かどうかも怪しくなってきたような気がする。
ミウチェちゃんやみんなとは言葉は通じるのに、さっきみたく文字は見たこともない形をしていて、カレンダーの読み方も分からない。
家のことや学校のことを話す度に、不安が頭を掠めていく。
けれど戻る方法がないんだから、わたしはここにいるべきなんだと思う。

(大丈夫、何とかなる)

そうやって自分に言い聞かせて、わたしはいつしか、ミウチェちゃんがしてくれるお屋敷の話に聞き入っていた。