「お父様」

ミウチェちゃんは、わたしを会議室のようなところに連れてきた。
長方形の長いテーブルがあって、椅子がいくつも並んでいる。テーブルの上には、地図のような大判の紙が広げてあった。
茶けた紙の上には、墨のようなもので記号がたくさんつけられているけど、意味は全く分からない。

ミウチェちゃんのお父さんは、誰かと話していたようだった。

「エンリくん……」

わたしは思わず彼の名前を呼んでしまった。
ほんの少し前に別れた男の子。
改めて見たけれど、本当にアイドルみたいだ。
「もしかして、サクさんですか?」
エンリくんが目を丸くしたので、ミウチェちゃんが「ね、びっくりするって言ったでしょ?」と、こっそりわたしに耳打ちした。
けど、びっくりしているというか、何とも言えないような表情で、エンリくんには、あっという間に目をそらされてしまう。
「下がっていいぞ、エンリ」
ミウチェちゃんのお父さんが、エンリくんに声をかけた。
「失礼します」
一礼すると、エンリくんはさっと身を翻した。
「ねぇ、驚いたでしょ?」
ミウチェちゃんは、行こうとするエンリくんに声をかける。
わたしに対してと変わらない気さくなトーン。
「何が、です?」
エンリくんは、少し余所余所しい。
怒ってるような気もする。
話の邪魔をしたからかな?
それとも?
と、勘繰っている間にエンリくんはさっさと行ってしまった。

「何よー、照れちゃって!」

ミウチェちゃんが頬を膨らませた。
なんて言うか、ミウチェちゃんは無邪気だ。
確かに大人っぽいんだけど、無邪気で、とても表情豊か。

「エンリから大方の話は聞いた」
ミウチェちゃんのお父さん――無精ひげのおじさんが、片目を閉じたままで言った。
すごく体格がよくて、よく見ると、その閉じた右目はまぶたの上からすぅっと一筋傷跡がはっきり残っている。
「……人買いにさらわれてきたそうだな、娘」
声がわたしに向く。
さらわれたという記憶はない。
「実は、友達と一緒にいたら、いつの間にか気を失っていたみたいなんです」
わたしは覚えていることを何とか伝えた。
気を失って目覚めたら、あの湿地にいたこと。ここがどこだかも分からないし、わたしの故郷はこの場所からはかなり遠いのではないかとエンリくんが言っていたこと。思ったことや、考えたこと、全てを話した。
ミウチェさんもお父さんも黙って聞いてくれた。

「……わたしが知っているのは、これだけです」
話し終えると、ミウチェちゃんが先に口を開いた。
「ねぇ、お父様。きっとお父様の中では、彼女が間者なんじゃないかって考えが浮かんでいると思うんだけど」
「ミウ」
たしなめるようなお父さんの声を無視して、ミウチェちゃんは続けた。
「私はそうは思わないわ。私が間者なら、私の顔や名前を知っていると思うし、きっと彼女の衣服からは何かしらの手がかりが出てくるはずだと思うの」
「えっ?」
わたしはハッとして、ミウチェちゃんを見た。
彼女は目を逸らすわけでも、気まずそうにするわけでもなく、ただ真っ直ぐにわたしを見つめた。
「ごめんなさい、でも、私が確かめたかったのは、あなたが敵でないってこと」
じゃないと、お父様が納得しない。そう言って、彼女はちらっとお父さんを見る。
お父さんは少し呆れたような顔をしていた。
「それで、もし間者だったらどうするつもりだ?」
「その時は……そうね、黙って私の首を差し出せばいいかしら?」
あまりに堂々と言い放ったので、わたしは一瞬訳が分からなくなってしまった。
けど、どうにか口を挟んだ。
「ちょっと待って、首を差し出すだなんて……!!」
「ミウ、何か根拠はあるのか?」
お父さんが静かに聞くと、ミウチェちゃんは、ええ、としっかり頷いた。
その目に迷いはなくて、ただ、挑みかかるような勇ましさがあった。
お父さんが、わたしを見て、ミウチェちゃんを見て、それからゆっくりと頷いた。
「……分かった。では、俺もお前とその娘を信用するとしよう」
「お父様……!」
ミウチェちゃんの表情が晴れる。
そんなミウチェちゃんと目が合った。思わずわたしの口も綻ぶ。
「ミウ、お前もこの城の主の娘だ。その辺りはわきまえて行動するようにな」
「はい! ありがとう、お父様」
「あ、ありがとう、ございます!!」
わたしも慌ててぺこっとお辞儀をした。顔を上げると、お父さんはさっきよりも少しやわらかい表情でこっちを見ていた。
「娘、名は何という」
「サク、間宮 咲です」
言って、思い出す。そう、エンリくんが教えてくれた名前の法則。
「サク マミヤです。サク、が名前で、マミヤは姓です」
「俺はリウチェだ」
「はい……、リウチェさん、ですねっ……」
「ああ、娘と仲良くしてやってくれ」
「はいっ!」
思いのほか、その返事の声が室内に響いて、わたしは少し恥ずかしかった。