15分くらい走っただろうか。

「ほら、あそこ!」

リエンくんが声を上げた。
指差す方向を見ると、赤い建物がたくさん並んでいるのが見える。
目はいい方だけど、どれくらいの規模なのかは分からない。
ただ、そんなに高い建物はないみたいだ。
「我らが都です」
「都……?」
「そう、水の都とも呼ばれる美しい街です。名をメイファンといいます」
「へぇ……」
わたしはリリスゥに揺られながら、メイファンの街を見つめる。
聞いたこともない街。
見たことのない風景。
風が砂と一緒にわたしの髪をさらってく。
まだ、不安はあったけど、少しだけ気持ちが落ち着いてきた気がする。
ああ、わたしは見知らぬ場所に来てしまったんだ、と冷静に考えることも出来る。

メイファンの街は、思った以上に大きかった。
「う、あ……」
締まりのない声を上げて、その壮大さとでもいうんだろうか。
赤いレンガを積み上げて作った高い壁に、思わず見とれてしまう。
左右はどこまで伸びているのか分からないくらいに遠くまで続いていて、
壁には壁に見合うだけの大きな門と、小さな、普段わたしが使っているようなサイズの木の扉がついている。
「エンリ様!!」
突然、木の扉の方が開いて、勢いよく飛び出してきた人がいた。
歴史の教科書に載っている鎧みたいなものを着たボロボロのおじさんだ。
こっちにむかって嬉しそうに駆け寄ってきた。
「エンリ様、お戻りでしたか!!」

エンリ?

わたしは、2人を交互に見た。

「ええ、すみません、遅くなってしまいました」

リエンくんの方は、特に変わった様子はない。
「今開けさせますんで」
おじさんはぺこりとおじぎすると、扉の中へ戻っていった。
しばらくして、大きな鉄の門がとてもゆっくりと開いた。
「エンリ様のお戻りだ!!」
どこかで誰かが叫ぶようにして言う。
「開門!! エンリ様のお戻りだ!!」
また、どこかで声がする。
「さて、行きましょうか」
ぼんやりしていたので、声をかけられはっとする。
わたしはエンリと呼ばれる彼を見た。
門が開ききって、リリスゥが歩き始める。

「? どうかしましたか?」
「えっと……あの、名前」
わたしはどうやって聞こうかと迷った。
「名前がどうかしましたか?」
「えっと、さっきリエンって名乗ってたのに、みんなはエンリって……」
「?」
彼はリリスゥに揺られながら、しばらくうーんと考えてから、片目を閉じてわたしを見た。
「もしかして、あなたの故郷では姓(かばね)と名の区別がないんですか?」
「か、かばね?」
どこかで聞いたことあったような……そうだ、苗字のことかな。
「いいえ、間宮が姓で、咲が名前です」
「へぇ、本当に変わったお名前ですね。聞いたことないですよ」
感心したように言うと、続けた。
「私の姓はリで、名はエンです」
「中国人さんみたいですね」
「え?」
全く通じなかったようだった。
わたしは、一瞬嫌な予感がしたけど、マイナスなことは考えないように蓋をした。
「少なくともこの国では、礼儀として名乗る場合は、姓、名前と名乗ります。けれど、普段は名、姓と名乗るんですよ」
間柄が親しければ、名だけで呼び合いますけど、と付け加えた。
「へぇ……」
そんなことがあるなんて、初めて聞いた。
つまり、初対面とかマナーを大切にする時は間宮 咲で、普段は咲 間宮と呼ばれるっていうことなんだろうか。
「あなたの故郷では違うんですか?」
「そうですね、姓、名の順で名乗ります。でも、フルネームで呼び合ったりすることは、あんまりないかも」
「ふるねーむ?」
また通じなかったみたい。
「姓と名前をまとめて指す時にそういうんです。普段は、咲とか、間宮さんって呼ばれてます」
「ふーん? 本当に遠くの国から来たんですね、あなたは」
「そう、かもしれません……」
嫌な予感がいよいよ当たりそうになってきた気がする。
これだけ日本語が通じるのに、なんで通じない言葉があるのか。
わたしは、背中に重い石でも背負わされたような気分になってしまった。

「サクさん」

思いがけないところで名前を呼ばれてはっとした。
声のした方を向くと、リエン――エンリくんでいいのかな? 彼がにこっと笑った。
その笑顔を見ていると、じんわり頬っぺたが熱を持ち始める。
しどろもどろしながら、何か言おうと口をパクパクさせるけど、上手く言葉は出てこない。
「えっと、あの……」
「私のことはエンリで結構。私も好きなように呼びますから」
カラカラした笑顔で言うエンリくん。
本当に邪気のない人だなぁと思った。
なんていったらいいんだろう。
裏表がなくって、思ったことをずどーんと率直に言って、繊細な見た目からは想像も出来ないくらいに大らか。
こういう身体がすらっと細い人って、わたしみたいなぽっちゃりから見ると、本当にナイーブそうだし、儚げなのに。
中身は全く違ったみたい。
わたしはぱちっと両頬を叩いた。
よし、大丈夫。
「じゃあ、エンリくんって呼んでもいいですか?」
「もちろん」

ああ、ダメだ。

答えた彼の横顔は本当にまぶしくて、まるで絵本の世界だった。
頬っぺたを叩いて熱を追い出そうとした努力も空しく、わたしは結局、しばらくその横顔に見入ってしまうのだった。