「あのコレ、つまらないものなんですが」

「ありがとうございます」

 時子から差し出されたのは、勿論、定番の蕎麦だ。蕎麦好きの信一郎は、一人静かにほくそ笑んでいたが、その様子の一部始終をすぐ横にいた美佳に、見られてしまった。


 そんな時、母子の後ろからぺたぺたと小型犬がやって来た。

 ビーグル犬だ。


「あっ、ワンちゃん」

 美佳が嬉しそうに、急いでスリッパを履いて玄関から下りると、犬の側でしゃがんで頭を撫でた。
 ビーグル犬は細くて短い鞭のような尻尾を、ヘリコプターの羽か、渦のように、グルグルと回しながら近付いて来た。

「かわいい。私も飼いたいな」

 そう呟く美佳に、犬の方も気持ち良さそうに、おとなしく体を預け、なついた。母親に隠れていた勇馬も、一緒になって、楽しそうに犬の背中を撫で始めた。

「ビーグル犬で、名前はピットと言うんです。オスですよ」

「犬を飼ってらっしゃるんですね」

 美咲は美佳の呟きには知らんぷりをして、時子と話す。

「前のアパートではペットが飼えなくて、近くにあった主人の実家にずっと預けていたんです。これでやっと一緒に住めて、家族が揃った感じで、……子供も喜んでくれて」

「そうだったんですか」

 長くなりそうだったので、信一郎は時子に挨拶をして奥へ引き上げた。


「ところで……」

 一度右の眉毛を上げて、時子は白河さんの家の方を向いた。

「あの家には人がいるのかしら?」

「白河さんね。ずっと前から住んでる方よ」

 信一郎が去ったのを機会に、女性同士の会話のスイッチが入った。この辺りは、生まれ持った空気のようなものだった。

「あら、そう。へえー。ナンかスゴいから。庭とか植物がはみだしていて」

「私も最初はびっくりしたのよ」

 美咲の声が裏返る。

「中はアマゾン?」

「アハハ、そんな感じ」

 その後、家の奥で信一郎が蕎麦の箱を開けて待っていても、二人の会話は止まる事もなく、いつしか諦めてソファで眠ってしまった。