「まだ若いのに、何言ってんだよ」

 信一郎が玄関から移動すると、ようやく美佳ひとりが靴を脱ぐだけのスペースが出来た。

「ねえ、お父さん」

「うん? 何だ」

「あそこの家の人、こちらをジロジロ見ているよ」

 美佳の言うには、公園を挟んだ向かいの家だった。
 自分の家の庭から、中年の男がこちらの様子を窺っている。

「気持ち悪いよ」

 美佳は目をそらし、靴ひもに手を添える。

 男は薄緑色の作業服を着て、首にタオルを巻き付けていた。
 偶然にも信一郎と目線が合ったので、お互い、軽く会釈をした。

「なぁ、美咲」

 信一郎は姿の見えない妻に呼び掛ける。

「お向かいさんだが、今日中に挨拶に行っとかないか」

「そうね。一軒だけだものね」
 少し遅れて返事が返ってきた。そして、贈答用の蕎麦セットを、何処からともなく取り出してきた。

「よくこんなにも散らかっているのに、目的のものを見付けられるな」

「主婦だから」

 答えの意味は判りかねる。しかし、信一郎が感心したのは言うまでもない。

「それじゃあ、行く?」

「待ってよ。少しぐらい顔を直させてよ」

 美咲が奥の部屋へ消えると、美佳もその後に続く。

 奥の部屋に、女性の七つ道具でもあるのだろう。
 男性には禁断の領域だ。

 信一郎は大人しく蕎麦セットを眺めながら、待つほかなかった。