家に帰ると、安楽椅子に腰掛けていたおばあちゃんは驚きもせずに「おかえり」と皺枯れた声で言った。
 わたしはというと、ぜいぜいと肩で息をしながら、廊下や家の所々に付いてしまったであろう血の跡を思った。掃除が大変そうだ。目が覚めたらこの客人に自分で始末をつけてもらわないと。
「おやおや、今日は大きな荷物を持って帰ってきたんだねえ」
 おばあちゃんはそう言いながらも、ゆらゆらと安楽椅子を揺らしている。
 気を失った男の子を引き摺りながら森を抜け、丘を上るのは思った以上の重労働だった。死人の様に眠っている男の子の綺麗な顔には小さな傷がいくつか出来てしまったけれど、勘弁してほしい。数日で治る様な傷ですんだことを思えば、感謝してほしいくらいだ。とりあえずこれで命は助かるのだから。
 わたしは掴んでいた足を離すと、男の子の胸元の釦を外し始めた。口がきけないのだから、傷を直接おばあちゃんに見せるしかない。
「年頃の娘が恥ずかしげもなくそういうことをするんじゃないよ」
 嫁の貰い手がなくなったらどうする、とおばあちゃんはようやく重い腰を上げた。
 床に寝転がる男の子の顔を覗きこみ、微かに眉を顰める。珍しい。
「この若者、どこから拾ってきたんだい」
 わたしは森の方を指差した。指先には大きな扉があったけれど、おばあちゃんにはその方向にある森を指しているのだと分かるはずだ。
 ふむ、とおばあちゃんは小さく頷いた。
「厄介な拾い物をしたね」
 わたしの目にはただのお綺麗な貴族の坊ちゃんにしか見えなかったけれど、おばあちゃんに厄介と言われるなんて、この子は相当厄介に違いない。おばあちゃんは大きな身体に見合った大きな心の持ち主だから、わたしが驚くくらい何に対しても動じることはない人なのだから。
 わたしはおばあちゃんに命じられて部屋を出ると、血の跡を辿りながら台所へ向かった。男の子が目覚めたら、多分何か食べさせてあげた方がいい。掃除はその後でもいいだろう。まずは手にべっとりと付いてしまった血を洗い流してしまいたかった。
 台所の中には、わたし専用の竈がある。おばあちゃんの大竈で昔料理を煮炊きしようとしたら、うっかり自分が料理の材料になってしまいそうだったので、これもおばあちゃんが造ってくれた。火打ち石で紙に火を点け、それを置いておいた小枝の束に移す。今では手馴れた作業だ。上から吊るした大鍋には昨日の晩に煮た野菜のスープが入っている。貴族の坊っちゃんの口に合うかどうか分からないけれど、滋養にはいいはずだ。煮立つまでの間に先ほど少年と一緒に拾ってきた実を煎り、殻を砕いておく。食べ過ぎるのは身体に毒だけれど、これも身体にはいいものだ。
 何もなく、おばあちゃん以外の人がいないここは暇で仕方がなく、わたしの最近の趣味と言えば料理やお裁縫という女の子らしいものだった。おばあちゃんの家にやってくる前までそんなことは上手くも好きにもなれなさそうだと思っていたけれど、暇な時間の中やってみれば案外楽しいもので嵌ってしまったのだ。こんなわたしの姿を見れば、両親や兄弟たちは驚くだろう。まあ、もう二年も顔を合わせてはいないけれど。