詩人に泉の話を聞いてから、十年が過ぎた頃のことだった。
 私は盲目の少年と出会った。彼は両目を包帯で塞いではいたが、まるで目が見えているかの様な動きで森の中を淀みなく歩いていた。けれど、どうやら手に持った木の杖が、彼の目の代わりの様だと私はすぐに気付いた。
「誰かいるの」
 少年の声がとても澄んでいて、静かな森の中でよく響いた。
 私は返事をするべきか知らないふりをするべきか一瞬迷ったあと「だれもいないわ」と答えた。少年が間を置いて楽しげにくすくすと笑い出したから、私も思わず微笑んでしまった。
 わるい人ではなさそう。けれど詩人と出会って以来、兄には家族以外の人と言葉を交わしてはいけないよと言われている。もしうっかり交わしてしまったとしても、知らんふりをして逃げるようにと。けれど一度湧き出した好奇心を留めることはできず、私は隠れていた木の陰から身を乗り出した。
 かさりと草を踏む音がして、少年が此方を向く。薄茶色の髪に整った顔立ち。包帯で隠れてしまっているけれど、なんとなく大きな瞳の持ち主だということが想像できた。
「あなたはこんなところで何をしているの?」
 訊ねると、何故か少年は少し驚いた様な素振りし、すぐに口角を上げた。
「旅をしているんだ。君は?」
「私はこの森で棲んでいるのよ」
 少年は何かを考える様に、微かに首を傾げた。
「この森の名前は?」
「森に名前なんてないわ。森は森よ。もし名前があったとして、外の人がこの森のことをなんて呼んでいるのか私は知らない」
 少年はまた首を傾げる。けれど今度は何かを考えているというよりは、不意に浮かんだ疑問に思わずしてしまった仕草の様に見えた。
 私はゆっくりと彼に近づいた。害の無さそうな人間だし、目は見えていないだろうから近づいても問題はなさそうだ。もっと近くで彼のことを見てみたいと思った。
 少年はやっぱり目が見えている様な動作で、近づいてくる私の方に顔を向けた。
「あなたの名前は?」
 そう訊くと、少年は小さく口を開いて何かを言うのを止めた様に、一度口を閉ざしたあとで言った。
「失くしてしまったんだ。この目と一緒に」
「そう、それなら、星を数えるといいわ」
「どうして?」
「星を数えきった時、私はお母さんに名前を貰えるの。きっとあなたもそうよ」
「そうだね」
 静かに返されたその声には、悲しみが滲んでいる様だった。
 その時の私は、本当になんにも知らない馬鹿だった。目を失くしてしまった彼に瞬く星を数えることなんてできるわけがないのに。星なんて数え切れるわけがないのに。