「なんだよ、いつまでぷりぷりしてんだよ。かわいくねえんだけど」

呆れてルースが遠慮もなくそう言うから、メイだって余計に面白くない。

「かわいくないのはいつもです!」

ぷいっと横を向くメイに、実際のところかわいいと思ってしまったことは、ルースだけの秘密だ。


「…あれだ、腹が減ってんだろ」

「はあ!?」

相変わらずの見当違いな指摘に、今度はメイが呆れた。

「しょうがねえなー。でも食材は製菓材料しかねえしな」

食生活に関しては全く改善できなかったらしいルースに、メイは少し心配な気持ちになった。

本人はそんな彼女の心情に気が付くこともなく、キッチンでフライパンを出して、何やら作り始めた。


「何作ってるの?」
以前は気だるげな動作でそこにいたルースが、今日は鼻歌交じりであることで、メイは自分が拗ねていたことなどすっかり忘れてしまった。

好奇心に負けてルースの手元のフライパンを覗いたら、とろりと溶けた液体がふつふつと沸いているところだった。

ルースは、それを小さな紙のケースに流し込んで行く。


「キャンディだぁ」


あっというまにできたその綺麗な黄金色の塊に、メイは目をキラキラさせている。

「食っていいぞ。もう冷めただろ」

ルースが目を細めてそんなメイを見ていることにだって、気が付かない。

「うん!」

紙から剥がして、ぱくりと一口でそのキャンディを口に入れると、ゆっくりと優しい甘さが口の中に広がって行った。


「おいしい」

メイはとうとうにっこりと自然に微笑んでしまって、ルースは笑った。
「お前は何食っても『おいしい』としか言えねえな。味覚と表現力に問題ないのかな」

むっと唇を尖らせたものの、メイは口の中に残る甘さが自分の心の小さな苛立ちをすぐに消してしまうのを感じた。

「だって、ほんとにルースのお菓子は何食べてもおいしいんだよ“おいしい!!”って言うしかないくらい」

ふいに黙り込んだルースが、少し照れていることに、メイも気が付いた。

「ふふ。あたし、やっぱりお腹空いてたみたい。なんか元気出て来た」

ぷりぷり怒っていたことなど、嘘のように気持ちが落ち着いて、充実してきた。

そうなると、疲労困憊した状態で店にたどり着き、突っ伏すようにテーブルの席についたときには感じなかった、店の中の木の香りや、夜更けの湿った空気の感触など、以前は当たり前だったさまざまなことが懐かしく、安心を覚えてほっとする。

「もっと食え」

短くそう言ったルースは、もうメイの顔を見なかったけど、メイは嬉しかった。

「うん!ありがと」

もごもごとキャンディを頬張りながら、メイは大切なことをようやく思い出した。
「あ、これね」

ごそごそと服のポケットをさぐると、べべの持って来た筒が出て来たから安堵した。森で落としてないかと心配だったのだ。

「ルイーザさんから」

何と言えばいいのかわからず、それだけを言って、メイはそのままの筒をルースに差し出した。

きょとんとしたルースの表情が珍しくて、メイがまじまじと見つめていると、それに気が付いたルースは我に返った様子で、慌てたようにそれを受け取った。

「なんだよ、わけわかんねーな」

ぶつぶつ言いながらも筒から紙を取り出したが、メイはその紙の端が、斜めにいい加減に破られていることに気が付いた。

確か、きちんと長方形の便箋を渡したはずなのに。このルイーザのいい加減さは、完全にルースに引き継がれたに違いないと思うと、なんだか微笑ましい気持ちになった。

しかし、ふとそのルイーザが、何を書きつけたのかは一切見なかったことに思い至り、一気に不安になってきた。

紙片を開いたまま、ルースが固まってしまったので、メイは一層不安になって、思わずたずねた。

「あたしも読んでいい?」

はっとしてルースがメイを見下ろした時には、すでに彼女は傍らで文面を覗きこんでいた。

ルースへ

あんたの作る菓子以上においしいものは、この世にない。
特にあれ、マドレーヌは病みつきになるね。悔しいが、あたしもまだあれは超えられない。
たまには城まで持ってきなさい。できるだけたくさん。やっぱりたまにではなくしょっちゅう。



メイはすぐそばで、彼女が自分の思いつくままにしゃべっているかのように感じて、いつの間にか微笑んでいた。

なのに、ふいにルースが、無言のままでぎゅうっと抱きついてきたから、ぎょっとした。

「何!?どうかした?」

まあ、いわゆる一般的なお母さんのような文章ではなかったことは確かだけれど、ルースが傷つくようなことは何一つ書かれてなかったはずだ。

もう一度メイは字面を追ってみるが、やはり気分が悪くなるものじゃない。

ルースの菓子作りの腕を認めているし、読み方によっては、頻繁に会いたいと書いてあるようにも思えるくらいだ。


「お前って、本当に俺のあれこれをかき乱すよ」

「は!?」
その腕の力の強さに、頭のすぐ横から聞こえる低く響く声に、メイはくらくらしながら考えるが、何をもって自分がルースを乱したのか、見当もつかない。

「どうして?ルイーザさんの手紙を持ってきちゃいけなかった?」

「いけないっていうか。びっくりするだろ」

「ママからの手紙って、嬉しいかなって思ったんだけど」

「…まあ、アレから手紙なんてもらったの初めてだし、嬉しいって思う前に驚愕したな」

それは多分、驚愕の後には嬉しいという感情が湧いたのだと思うことにした。そして、それをルースの感情を乱したと言う表現がされたのだったら、メイはむしろ良かったと思った矢先。

「それより、裏は読んだのか」

「え、裏もあるの?」

案の定だ、と言わんばかりにため息をついて、ようやくルースが腕を解いたから、メイはふうっと安堵のため息をついて、紙を裏返した。


このおもしろい売り子。手放さないように。
店に来る男の半数には警戒をするように。
本人もあんたも無自覚だけど、色んな意味で狙われてる。

女王であり、あんたの母であるルイーザより
何かの謎かけか、ひょっとして、呪いか?と、メイはぶつぶつと呟いて、考えてはみるものの、ルイーザの意図するところが全く見えてこなかった。

「午前中、俺が寝てる時間、どんな奴が来てた?」

そう問われて、メイは困惑した。

「どんな奴って、クッキーを離乳食のように食べる赤ちゃんから、プリンを栄養源だって言ってるおじいちゃんまで来るよ」

「そういう商品以外の話をするような奴は?」

うーん、と考え込んだ後、メイは、店や仕事にかかわること以外の話をした覚えはないとはっきり答えた。

「ち。本当に無自覚だな。今度ソールに訊くことにする」



「……信じられない」

メイは、寒気を感じて目を開けた。

あれから、いつの間にか眠ってしまったらしいが、驚くことにキャンディを食べていた時と同じテーブルに突っ伏して爆睡していた。

ぶるっと身震いして、「部屋まで運ぶのはキツイとしても、毛布か何かかけるとかさぁ」と文句をこぼしながら、メイはルースを探そうと後ろを振り返ってがっくりした。

そのルースが床に寝転がっていたからだ。

床で寝ちゃうのは、お酒のせいじゃなかったんだなぁ、とメイはなんだかおかしくなってきて、寝起きでふらつきながらも、ルースの部屋まで毛布を取りに行った。

相変わらず殺風景な部屋に、見慣れない大きなガラス瓶があって、目を引いた。

なにこれ。
メイは、明かりをつけてじっくり見てみたけれど、それはどうしても小粒のクッキーに思えた。1センチ四方に満たないサイズで、そんな商品を店で見た覚えはなかったし、ルースが部屋に食べ物を置いていたこともなかったし、なんだか気になった。


そのとき、ぱたぱたと羽音を響かせて、べべが舞い込んできた。


「べべ!」


瞬時に、メイはべべが悪魔の城で、窓を破ったときのことを思い出した。

ふわりとメイの指に止まるから、メイは頭を撫でてやった。すると、メイの瞳に涙が浮かんできた。

「べべ、あたしの目を覚まさせてくれて、ありがとう。助かった。怪我はない?」

この小さな生き物が、あたしたちの守り人だったなんて。ママ。

メイは、母親と自分が、二人きりでも寂しくなく、幸せに暮らしていたのは、べべのおかげもあったのだろうと思う。

母と過ごした山での日々を回想するメイに向かって、べべは「怪我なんてないけど?」と言うかのごとく、ことんと首を傾げてみせた。
そして、メイは、悪魔の城を出たあと森をさまよったあの辛い時間に、母のことを思い出さなかった自分に気がついた。

それは、悲しい時にも嬉しい時にも、ライザを思い出していたメイにとって、大きな変化を意味する。


「嘘、あたし」

ママを思い出さなかったことが、軽薄なようにも思えて、でもそれと同時に、自分がママの死から本当に一歩前へ踏み出せたような気もして、メイは目を見張ったまま考えていた。

「あたしってば…」

森で失神する直前に考えていたことを思い出して、今度は顔が火照ってきた。


“あたし、ルースに会いたい”


そういえば、途中から、ぶつぶつ声に出してすらいたのだった。

ママの死をふっ切ることができたというよりは、好きになった相手にもう一度会いたい一心だったのかも…。
すっかり自分が恥ずかしくなったそのとき、メイはコツコツとべべが嘴で小皿をつついていることに気がついた。

「ん?どうしたの?」

それから、さっきメイが見ていた大きな瓶をコツコツとつつく。


「……あっ、それ、食べたいってこと?」


ひらめいたメイは、ビンの蓋を開けてみた。

バターの香りのしないそれは、やはりクッキーではなかったみたい。

そう思いながら、メイが手に握って小皿にサラサラ落とすと、べべが待ちきれない様子で嘴でついばみ始めたのだった。


「すごーい、べべって、そんなにごはん食べられるんだぁ。食の細い子だと思ってたよ」

メイもライザもあちこちで餌を買って与えてみたものの、はじめの数回口にするだけで、あとは全く食べないことばかりだったのだ。


「……まさか」
ふと、森で呟いたルースの声が蘇った。「どうしようもないから、べべを餌付けした」と言ったはずだ。

はっとして、毛布を抱きかかえると、メイは転がるようにして階段を下りた。

相変わらず床に転がったままのルースに毛布をかけてやり、その寝顔を見つめてみた。


「べべの餌、ルースが作ったの?」

そう小さな声で問いかけると、こちらを向いていたルースが仰向けになって、毛布が肩からずり落ちた。

「そこまでして、あたしを探してくれたのかな」

そう考えるのは、自惚れだろうか。


髪を切ったせいか、ずいぶん幼く見えるようになったその顔から、目が離せなくなって、メイは気もそぞろに毛布を引き上げてかけ直してやる。


「ぎゃあ!!」

突然、熟睡していたはずのルースが胸に触れてきたから、メイは叫び声を上げた。
「寝ぼけてるの!?」

それもルースは全く聞いていない様子で、目も開けないで「一応ついてんな」なんて失礼な発言をしながら、遠慮もなくメイの服をたくし上げて手を入れた。

「やだ!」

慌てたメイは、なんとか彼から距離を取ろうともがいた。でも、気がついたら背中はすでに床に押し付けられていて、逃げ場はなかった。

「何がいやだって?」

そこで初めてきょとんとした顔になって、ルースは首をかしげた。

「こ、こういうことが」

真っ赤な顔で、ようやく言葉を紡ぐメイ。

「今、俺に襲いかかってなかった?」
「なななない!!毛布かけただけだから!!」

そっか、と納得したような一言をこぼしたくせに、ルースは手を引っ込める様子もない。

「ちょっと!手!!」

「何?貧乳を気にしてんの?」

あっさりとメイのコンプレックスを指摘する無神経なルースに、メイは気が遠くなりそうだ。
「気に、気にしてるよ!...そうなんだけど、いやいや、そうじゃなくて、まだ無理なの!こういうこと、初めてだし、まだしたくない。なんか怖い」

必死でそう言う間にも、するっと手が這い上がってきて、メイは「ひっ」と変な悲鳴を上げながら、服の上から必死にそれを捕まえた。

「問題ない。もう19だろ。遅いくらいだ」

ゆらりと体を起こして、ルースは唇で、メイの口を封じる。

キ、キスしちゃった!まともに!

しばらくの沈黙の後、いやいやいや、と首を振って、甘く溶けてしまいそうな脳みそを叩き起しつつ、なんとかメイは言葉を吐き出す。

「も、もう!それはルースの基準でしょ」

駄目だ、顔だけじゃなくて頭の中までかっかしてきた。マーリンにも奥手だと散々言われたから“遅い”ってことなんかよくわかってる、とメイは思う。


「じゃ、俺は同じ基準の女とヤるしかねーの?」

意地悪くそう転換したルースに、メイは口をつぐんだ。

怠そうに、誰だかよくわからない女と店を出ていくルースの背中を、幾度となく見送った日々を思う。
「…ひどい。脅して自分の思い通りにするつもり?」

メイが悲しそうにそう呟く。

「俺の思い通りになんか、ならねーくせに」

反省もせずにルースがそう言い返したから、メイは呆れた。

「はあ?」

いつでも、わけのわからない言動で、あたしを振りまわしてきたのはルースじゃない。そう思いながら冷たくそう返したら、ルースはムッとした顔で、ようやく手を引き抜いた。

その隙に後ずさりしながら、メイはいくらかほっとしたものの、雲行きはよろしくない。

「放っておいて欲しいときにはまとわりついてくるし、傍にいて欲しいときには男と消えてるし」

不機嫌そうに続いたルースの台詞に、メイは頭が真っ白になってしまった。

まさか、自分のことを言われているはずがないと思いたいが、ルーファスにそそのかされて城まで行ってしまったのは事実だ。あんまりな表現ではあるが、否定し切れない。


「…正直に、言うよ」

仕方なく、メイは呟いた。
「…あたし、ちょっと逃げたくなったんだと思う」

元気で前向きなところが取り柄だと思っていたメイが、渋々そう切り出すのに、ルースは遠慮なく言い返す。

「全然ちょっとじゃねーし」

「ちょっと、だと思ってたの!」

あの日、ルーファスについていってしまったときのことを思い出してみる。

「ルースに苦手だって言われた。ルースがまためちゃくちゃになっていった。ママからの手紙を見つけた」

「ん」

そういえばそうだった、とでも言うのか、ルースもそう返す。

「自分がルースの毒になるって感じて、嫌になった」


「へえ」



「……なによ?」

相変わらず、よくわからない相槌しか打たないルースに、メイはちょっとムッとしてきた。
「しょーがねーじゃん。お前のこと苦手だし、確かに毒なんじゃないかと思うこともあるし」

あっさりとルースが肯定するから、メイは今度こそ固まってしまった。


「…なんで、チョコレートを欲しがらない?」


ルースの声が、頼りなく聞こえて、メイははっと顔を上げた。

「お前は、俺のどこに存在意義を感じてるのかが、全くわからない。チョコレートも食わねーくせに、あれこれ世話やいて来るし、休みなく店で働くくせに、たいして給料も持っていかねーし」

メイがぽかんとしていることに気が付いて、ルースは決まり悪そうに続きの言葉を探る。

「だーかーら、読めねーんだよ、メイのあれこれが。そこがまず苦手」

ぱちくりとようやくまばたきをするメイ。


「…なのに、傍にいなくなると気が変になりそうだった。限りなく毒に近い、危ない薬みたいだろ」


最後は呟きになって、ルースはごろんと寝返りを打って、メイに背中を向けてしまった。