突然キッチンを貸して欲しいとお願いした私に、橋野さんは嫌な顔1つしなかった。
バレンタインの前日。
女の子なら誰でも1度くらいは、好きな人の為にチョコレートを準備したことがあるだろう。
そんな日にこんなことを言い出した理由を、橋野さんはきっと勘付いているはずだ。
私が、ここにいる理由。
それは、チョコレートを作る為。
もちろん、好きな人の為に。
自分の家のキッチンを使えばいいと、普通の人なら思うだろう。
しかし、私には、自分の家のキッチンを使えない理由があった。
神経質でヒステリック。
言葉で表すなら、そういう人。
それが、私の母親。
私を産んだ人。
掃除は毎日、隅々までやらないと気が済まない。
自分の思い通りにならないと、すぐに声を荒げる。
あの人は、自分が綺麗に掃除した場所を触られるのを極端に嫌うのだ。
それは、娘の私であっても。
血の繋がった娘であっても、例外ではない。
お母さんに褒められたい。
お手伝いをしたい。
小さな私がそう思ってキッチンに近付けば、あの人はいつも私を叱りつけていた。
「ねえ、お母さん!」
「………何よ?」
「私も料理したい。お母さんみたいに、美味しい料理を作ってみたい!」
構って欲しかったのだ。
自分のことを見て欲しかったのだ。
幼かった私は。
でも、あの人は、私のことを見てくれない。
構ってもくれない。
面倒臭そうな顔をするだけだ。
「洗い物をするのは、誰だと思ってるの!?」
「………!」
「どうせ散らかしたままで飽きるんだから、私の手を煩わせないで!」
そんなつもりじゃなかった。
ただ、お母さんの隣で料理をしたかった。
隣で笑って、料理を教えて欲しかった。
話がしたかっただけだよ。
怒らせたかった訳じゃない。
