ランチへ行こうと誘われ、外へ行く私たちを浜尾さんが見送ってくれた。

彼女の視線が背中に張り付いてくる。

幼い頃から親しく接し、成人したのちは上司と部下の関係ではあるが、

密な関係を保ってきたのだろう。

彼女の感情の中に、宗を異性として捉えたものがあったとしてもなんら

不思議はない。


おそらく……彼女は……

近衛宗一郎を、ごく身近な存在として感じているはず。

宗がそれに気がついているのか、わからないけれど……

とっさに 「真琴」 と名前を呼んでくれる人がそばにいることは、彼女に

とっては幸せなことなのかもしれない。

私が割り込めない時間が二人の間にはある。

宗と真琴さんのやり取りに、僅かな嫉妬を覚えたことだけは確かだった。

私は右手の指輪なぞりながら、気持ちの揺らぎを抑えようとしていた。







その夜の夕食は、珍しく父もそろったテーブルになった。

食事の間の父はいつもの淡々とした表情で、好みの一品があれば嬉しそうな

顔をするが、それ以外は、美味しいのかそうでないのか感想を口にすることは

なく、調理する側にとっては作り甲斐のない人だった。


以前は毎晩のようにアルコールを口にしていたが、体調を崩してからはそれも

控えめで、食後は早々に部屋に引き上げることが多いのに、今夜は 

「珠貴も一杯どうだ」 と勧め、ふたつのグラスを用意させてソファへ深く

腰掛けた。

父と差し向かいで酒を口にするなど滅多にないことで、グラスを傾けても何を

話していいものか、父の正面に座ったものの、私は言葉を選びすぎて何も

話すことができずにいたところ、その話は唐突に始まった。



「珠貴は、近衛君を知っているのか?」


「えっ、えぇ……」


「彼はおまえのことを良く知っているようだった。

聡明なお嬢さんですねと言われて、悪い気はしなかったよ」


「お友達のご主人のお兄さまでいらっしゃるの。

何度かお話をしたことはありますが、

お父さまはどちらで近衛さんとお会いになられたの?」



宗と父が密談していたのを聞いたと言うわけにもいかず、私は何も知らない

振りで聞き返した。



「このまえのパーティに彼も来ていたんだ。

霧島君の代理だといって、少しばかり仕事の話をさせてもらった」


「そうでしたの」


「あの若さでたいした人物だ。いずれ立派に父親の跡を継いでいくだろう」


「よほど近衛さんを気に入られたのね」



父のひと言ひと言に、私は神経を研ぎ澄ましていた。

宗のことを語る父の口が次は何を言い出すのか、なんでもないといった顔で

聞き入っていた。



「霧島君から相談を受けて、直接会場に出向いて

私と話をしたほうがいいのではないか、 

橋渡しで役に立つならと言い出したのは彼の方だったそうだ。

あれほど豪胆な男は、なかなかいないよ」



そうですか、と素っ気無く相槌を打ちながら、私は喜びに打ち震えていた。

父の目に映った宗が、父によって語られている。

口数の少ない父であるが、評価した人物に対しては賞賛を惜しまない。

宗は父の中で心に残る人物として位置を占めたようだ。



”宗、貴方の作戦は、まずは成功したみたいよ”


深夜の電話で告げたら、彼はどう言うだろう。


”そうさ、準備は周到に、行動は大胆に だよ”


と、得意げに答えることだろう。 


口元がほころびそうで、嬉しさを隠すようにグラスをあおり、琥珀色の液体を

喉に流す。

いつもなら苦いと感じられる液体が、今夜はまろやかに舌の上で転がって

いった。