翌週、私はさっそく劇場に足を運んだ。

白洲さんにいただいたチケットと比べては失礼かもしれないが、あのときの席

よりさらに良い席で、こんな良い席でシーズンを通して鑑賞できるなんてと、

また感動がこみ上げてくる。

幕間の休憩にロビーに出ても、まだ私の興奮は続いていた。


ソフトドリンクを手にパンフレットをめくる私へ、声がかけられた。

声の方を振り向くと、そこには白洲明人さんのおかあさまがいらっしゃった。 



「その節は……」


「こちらこそ……」



歯切れの悪い挨拶が交わされ、続きの言葉をさがす私より先に、明人さんのお

かあさまが口を開き、その言葉に、私はめまいを覚えるほど驚いた。



「私、白洲の家を出ましたのよ。今、ひとりで別荘におりますの」 


「まぁ、あの……」


「珠貴さん、あなたにお会いしたことがきっかけでした」


「えっ……」



私が明人さんとのお話を断ったのが原因だったのかと、うろたえた。

絶句する私へ、ふふっと柔らかい笑みが向けられた。



「驚かせてごめんなさいね。私も、自由に振舞ってみようと思いましたの。 

これまで、誰かの言うことにしたがって、そのまま動いて、

それを不思議とも思わずにまいりました。

でも、珠貴さん、あなたにお目にかかって、

なんて自由でいらっしゃるのかと羨ましくて、私も真似してみたくて」


「それで、お家をお出になられたと」


「白洲の家を出たといっても、私には籍を抜くことは許されませんでした。

息子たちの将来もありますから、勝手はできませんものね。

それでも、いままでのように夫のそばで、

言われるままに過ごすのはどうにも我慢できなくなりましたの。

離婚しない条件で、療養のため別荘に移ることを認めてもらって、

やっと自由が手に入りました」


「そうでしたか……おひとりになられて、いかがですか」



ぶしつけと思いながら、つい思ったことを口にしていた。



「楽しい毎日ですよ、とっても。こんな日常もありましたのね。 

これまでの生活が、いかに窮屈だったのかを知りました。

他の方には、そんなこととお思いになることも、

私にとっては大きな一歩でした。

今日も、思い立ってオペラを観にまいりましたのよ。

まさか、あなたにお会いできるなんて……」



優雅に着こなした和服が窮屈にみえたこの前とは異なり、今日のふわりとした

ワンピースは、笑うたびに裾が揺れて可愛らしいお姿だった。

またお目にかかるかもしれませんねと、楽しそうなお顔を残して、白洲夫人は

席へ戻っていかれた。


背筋の伸びた後姿を見送りながら、真琴さんの姿が重なった。

先の心配を恐れず行動を起こした真琴さんも、自由を手にするために踏み出し

た白洲夫人も、自分の力で羽ばたこうとしていた。


 
私の誕生日に、宗が言ってくれたことが思い出された。

「今年は転機の年にしたい」……彼の決意のあらわれだった。

宗も何かに挑戦しようとしている。


でも、宗の決意ってなんだろう。

転機の年にしたいなど、あらたまった言い方がいまさらながら気にかかる。

彼の言葉を思い出すうちにハッとした。

これは、宗から私へのメッセージ。 

あらためて私に向けられた、プロポーズだったのではないか 

「その時がきたら」 と、確かに彼は言った。

なんということ、 宗のことを 「恋には疎い」 などといっておきながら、

私にも充分にその要素があったなんて。
 

『突然の出来事に予定を阻まれます。けれど諦めてはいけません。 

希望を捨てず、努力することで運が開けるでしょう』


そうだ、待っているばかりでは何も変化はおこらない、私も動かなくては。


「私も、あなたと一緒に、同じ目的に向かって歩きたいの」


舞台が終わったら、何をおいても宗に伝えようと思った。 


幕間の休憩の終了を知らせるベルが鳴り、人の波が劇場内へと吸い込まれて

いく。

私も大きく一歩を踏み出した。