「俺も…そうだったね」

啓介は呟いた。

恵子に、その呟きが聞こえたのか、聞こえなかったかは…

わからない。

「それに…あの子が知りたかった音は…この子から出たものよ」

恵子はもう一度トランペットを撫でると…静かに立ち上がった。

「楽器は、鳴らすもの…あたしは…」

クスッと笑うと、

恵子は、グラスの中身を飲み干し、

カウンターに置いた。

「また、歌いたくなったわ」

恵子は、ステージに向かう。

「啓介。たまには、親孝行しなさい」

啓介は、苦笑すると、立ち上がった。

「はい。母さん」

楽器ケースから、アルトサックスを取り出し、ステージに上がる。

「曲は?」

「イッツ・オンリー・ペーパー・ムーン」

誰もいない店内に、

2人のKの音が、流れた。

優しく、そして切なく…

音楽を演奏することも、思い出もいっしょ……

自分から離れると泡のように、漂い…

決して、つかむことはできない。

そして、泡は弾け、

自分の心以外には、残らない。

だけど…決して忘れない。


第一部…完。