「ちょっと話したくて」


俯き気味に言った彼女。
軽く頷いて階段を上がろうとした僕は、すぐに呼び止められた。


「明日も早いし、今はお互い体力勝負でしょ。ここでいいの、すぐ帰るから」


振り返りのぞきこんだ顔には、控えめな笑みが浮かんでいた。



*・*


「大変なことになっちゃったね」


立ち話でいいと言ったサクラさんを、マンションまで送りながら話すことにした。

歩きだしてすぐに発せられた言葉がそれだった。

うん、と短く僕が返すと、彼女はまたぽつりぽつりと続けた。


「まさか企画がかぶってたなんて。盗んだとか、あんな騒ぎになるなんて、ね……。新しい原料が決まったって聞いたけど、もう二週間くらいしかないのに大変だよね」


その話題を二人の間で出すのは、初めてだった。

なんとなく、暗黙の了解のように避けていた部分もあって。話したからって事態は変わるわけでもないという思いもあったから。


「海洋深層水は去年、ハルと鈴木さんが調査してきたものだったから。あたしも、まさかとは思ったの」


LINEではなく、わざわざアパートの前で僕の帰りを待ってまで話しに来てくれたのは、このためだったのかな。

だったらサクラさんだって忙しいのに、疲れているはずなのに。