猫 の 帰 る 城




「小夜子、ごめん。ひどいことを言った。傷つけるつもりなんてなかったんだ」

「…嘘、ほんとうはわかってたくせに」


小夜子の目は、涙と僕への怒りでぐしゃぐしゃだった。

傷ついた彼女のこころがむき出しに晒されているようだった。
あまりに痛々しくて、僕は見ていられなかった。

決まり悪く目をそらす。
しかし彼女は怒りと苦痛に満ちた目で、僕をとらえて離さなかった。


「さっきのは本心でしょう。傷つけるつもりがなかったなんて、嘘でしょう。わかってたのにやめなかった。そうでしょう」

「…違う」

「大卒の肩書捨ててまで、保障されない夢を語ってる馬鹿な女の末路を、心配してくれたんでしょう。ご親切にどうもありがとう」

「僕はそんなつもりで言ったんじゃない」

「じゃあどういうつもりで言ったの」

「…あのときは、僕もどうかしてたんだ」

「なにそれ。答えになってると思ってるの」


僕は返答に困った。

小夜子を見ることが出来ず、目を逸らしたままだった。
その姿を見て、小夜子が大きく息をついた。


どれくらいたったのかわからない。

それはきっと数秒だったのかもしれないけれど、永遠ともいえる沈黙だった。


沈黙のうちに、小夜子の身体から怒りが消えていく。
荒々しかった呼吸が、穏やかなものへと変わっていく。

沈黙のあと、彼女は小さく呟いた。



「もういい」



その言葉にはっとして小夜子を見ると、もう泣いてなどいなかった。

涙をぬぐい、僕をじっと見つめる。
けれどこころの中は深く傷つき、今も泣いているのだと僕は思った。


「小夜子…」


僕は言葉じゃ伝えきれなくて、彼女の身体を抱きしめたかった。

強く強く抱きしめれば、数分前のように、また笑い合うことが出来るんじゃないかと思ったからだ。


けれど、それももう無理だった。
すべて崩壊してしまっていたのだ。


僕は彼女を抱きしめることすら出来なかった。


小夜子が僕を見つめる。
その目にはもう、僕への愛などかけらも残っていなかったのだ。


「もう、いい」


小夜子はもう一度、噛みしめるようにそう言った。
視線を落とし、自分の足元を見つめる。

それは数秒のことだった。

しかしその一瞬のあと、僕を見上げた瞳はまるで別のものだった。
再びとらえた小夜子の目にはもう、怒りも憎しみも存在しなかった。


あるのはただひとつ。



「…さよなら」



決別の意だった。