猫 の 帰 る 城




僕の手の平からは、はっきりとわかるくらい汗が噴き出していた。

けれど小夜子はまったく気にする様子もなく、僕の手を自分の胸に引き寄せる。
彼女の温かな熱が手の甲に伝わる。


この温かい胸も、もういなくなるのだ。
僕は小夜子のぬくもりを感じながら、どこかでそんなことを考えていた。

いや、胸だけじゃない。
握りしめたこの手のひらも、澄んだこの瞳も、白く細い手首も。

みんなすべて、いなくなる。
いなくなってしまう。

小夜子が僕を見上げる。
その顔は一年前にも、今までにも見せたことのない、決意をにじませる真剣な顔だった。


「ヒロトと一緒に過ごせて、本当に幸せだった。あなたがいてくれたから、つまらない大学も楽しかったし、あの男のこともどうでもよくなった。本当に、感謝してる。ありがとう。
だけど、目標ももたないまま、なんとなく大学に通って、なんとなく就職する未来じゃ、物足りないの。わたしはわたしの思うままに生きてみたい。わたしがしたいと思ったことを信じてみたい」


小夜子はそう言って、僕の胸に飛び込んだ。

僕の胸に顔を押し付け、精いっぱいの力で僕を抱きしめる。
背中に回された小夜子の指の腹が、僕の肉に食い込んでくる。

彼女の匂いが、風と共に舞って消えた。


「ヒロト、愛してる。今になってこんなこと言うなんて、すごく可笑しいよね。自分でも気づかなかっただけなのかもしれない。もしかしたら一年前、あなたとここでたくさんの言葉を交わしたときにはもう、そういう気持ちを抱いていたのかもしれない。だけど…ずっと口にするのが怖かったの。あなたとの関係は、けっしてきれいなものじゃなかったから。こんな、正当な言葉を言ってしまってもいいのか、すごく迷ったし、怖かった。それでも言わなきゃ消えてしまいそうだったから。うやむやになって、二度と言えなくなるかもしれないと思ったら、そのほうがよっぽど怖かった。

あなたを愛してる。ずっと、愛してた」


僕の頭に、鈍器かなにかで殴られたような衝撃が走った。

頭が可笑しくなったみたいだ。
感覚へとつながる全神経が麻痺して、間違った信号が送られているみたいだった。

なぜなら、初めて――――

初めて小夜子に、愛してると言われただけで、涙が出そうになってしまったのだ。


僕はうまく呼吸が出来なかった。
溢れそうになるそれを我慢していたら、息の吸い方も忘れてしまっていた。

僕の胸は締め付けられた。
まるで小夜子に心臓ごと抱きしめられているようだった。

僕の胸は、彼女のぬくもりで満たされていたのだ。

温かい。

苦痛からくる締め付けではなかった。
これほど心地良く、涙が溢れそうになる胸の痛みは、今まで経験したことがなかった。


たった四文字のその言葉で、人の胸は切ないほど締め付けられるということを、僕は初めて知ったのだ。


僕は彼女の頭に顔を押し付けた。

ようやく吸い込んだ夏の風に、彼女の匂いが混じっていた。
何度となく吸い込んだ匂いだった。