適当に着替えを済ませ、カバンを持って1階に降りる。
玄関からすぐの応接間にて、母と浪瀬の声が聞こえた。
「野枝ったら、こんなかっこいい彼氏いるなら紹介しなさいよ、恥ずかしがっちゃって」
「お姉様にご挨拶が遅れて申し訳ございません」
「まあっ、お姉様だなんてっ。いい子ねぇ。うちの子にはもったいないわ」
「……………」
なに盛り上がってるか知りませんが。
母上よ、だまされないで。
イケメンは悪人よ。
今だって、平気な顔して嘘ついてるんだから。
私は、こんな奴と恋人の関係になった覚えはありません。
戸を開けると、ふたりの視線は私に向く。
気付いた浪瀬がソファから腰をあげた。
「それでは、娘さんをお借りして行きますね」
「どうぞどうぞ、借りると言わずもらってってちょうだい」
「お母さん………」
私を売らないで。
「じゃ、行ってきます」
「お邪魔しました」
玄関まで見送りに来たお母さんに挨拶する。
浪瀬とふたりで家を出て、パタンと戸を閉めてから。
「あ…………」
重要なことに気が付いた。
「浪瀬よ」
「ん?」
「今の私、素顔なんだけど」
「それがどうした?」
「素顔の意味わかる?化粧してないってことよ」
「知ってるよ。だからどうしたんだ」
「もしも浪瀬ファンに見つかったら私、いじめられコース待ったなしなんだけど」
「素顔の野枝もかわいいよ」
「話し聞け!」
そこじゃない。
素顔で外に出ることに抵抗を感じてるのではなく、素顔で浪瀬と外に出ることに危機感をおぼえてるのだ。
カバンの中には、ケータイと財布のみ。
「仕方ない、一旦帰るわ」
逃げるように出てきた家に、1分もしないうちに帰るとか、すっごい恥ずかしいんだけれども。
背に腹はかえられぬ………。
「待て、化粧するってことは、ぶりっ子野枝になるってことかよ」
「まぁ、そうなるわね」
常々思う。
ぶりっ子以外に表現方法はないものか。
いや、ぶりっ子以外の顔になれば解決だわ。
今度それしよ。
「そんなことになったら、俺の野枝が野郎どもに下劣な目で見られちまうじゃねぇか」
「いつも女子どもの注目の的になってるお方がなにを申すか?」
「野枝は俺のものなのに」
「いつ貴様のものになったよ?」
「うあああぁぁぁぁぁぁ!」
だめだこりゃ。
浪瀬はキリッとセットした頭をかきむしり、ご乱心。
御近所迷惑御免被るよ。
「……………これで文句はないだろう?」
「何のつもり?」
「野枝のお母様に挨拶するために気合い入れてきた髪を崩したんだ」
その解説はいらない。
確かに、浪瀬らしさは消えた。
だが。
スラリとした体躯、おしゃれな服で、顔の上半分が隠れるボサボサ頭。
なんともミスマッチ。
そして、隠せていないイケメン臭。
こんな形して美形だと思わせるあの匂いがする。
「これで堂々とデートができるな」
「おめでたいですね、トリ頭!」
見える彼の口元が弧を描き、私の手を取る。
「え、おいちょっと!」
「行くぞ」
制止の声を無視して、浪瀬は走り出した。