月陰伝(一)

今からちょうど一年前、ある薬が二十代の若者を中心に流行りだした。

安価で売り買いされるその薬は、頭がスッキリして、仕事や勉強の能力が上がると言う触れ込みで、一種の栄養薬のような認識で広がっていった。

しかし、実際はいわゆる麻薬の様なもの。
ただ問題なのは、薬事法に触れない類いの物な上、どんな検査にも引っ掛からない。
更に、人によっては過剰摂取をすると、死に至ると言う事態になった。

国も秘密利に対策を練ったが、決定的な証拠も上がる事はなく、警察も動けなかった。

しばらくして、月陰会にこの話を委任する事となったのだ。
そして今日、地道にバイヤー達を捕らえ、ようやく薬を作り売り捌いていた組織を完全に潰す事となった。

しかし、紫藤からもたらされた情報は、この件がまだ確実に決着がついていない物だと思わずにはいられないものだった。

「一族が仕入れた情報によると、あの組織の元があるらしい」
「元…?」

薬は、組織が作り、管理していた。
仲介者や生産工場も全て今夜、別動隊が押さえ、原料となる薬草も焼き払わせた。
ルートは完全に潰したのだ。
”元”などありはしないはずだった。

「君の事だから、組織が関わってたルートは全て押さえたんだろうね?
けど、どうやら組織の幹部連中は、ある宗教組織から脱退した者達なんだそうだよ。
その宗教組織が出来た初期の頃、信者に法外の金と引き換えに『神の薬』として与えていたのが、今回の薬の原形らしい」
「な…に……?」
「問題なのは、今はもっと改良された危険な薬が、その宗教組織で使われている事かな?」

それが真実ならば、放っておく事はできない。
けど…なぜ…?

「何でそんな事……」
「ん?
教えるのはどうしてかって?
君に嫌われたくないんだよ。
さっきのお詫び。
やっぱり、女性はムードを気にするだろ?
あんなやり方じゃ怒って当然だからね。
これで許してくれるかい?」

そんな訳ないだろっ!!

「……情報料は払わせてもらう…。
いつもの口座に振り込んでおく」
「ははっそれで、今回の事は許さないって事かい?
まぁいいかっ。
許さないって事は、さっきのキスを忘れないって事だからね」
「……っ…」

コノヤロウッ!!

本当に腹が立つ男だ。
お陰で、心底嬉しそうな顔をして、入り口へと向かう紫藤とすれ違い様、斬りつけようとする己を必死で律しなくてはならなかった。
佐紀に、手を出すなと目で訴えながら、去っていく背をねめつける。
すると、紫藤が不意に振り返って告げた。

「君の母君、気をつけてあげなよ?」
「…なぜ?」
「その宗教組織は、神以外の”オカルト抹消”を掲げる組織なんだ。
足を踏み入れていないといいね」
「ッッどう言う意味っ!?」
「じゃぁ、またね」
「っ待ちなさいッ」

そう言って忽然と気配が外へと消えた。