「ああ」
 ジョナスはさして興味もなさそうな声で答えた。
「私の三男と同じ名前だな。親元に顔を出しに来る時は毎月朔日に金をせびりに来る時だけという、不良品だ。定職にも就かず遊び歩いている。私の血から何故あんな不良品が生まれたのか理解できないね。それより、そんな話は今、どうでもいい筈だ、そうじゃないかね?」
 ファリカは金槌で頭を殴られたような衝撃を受けていた。
 あたしは恋人の父親と寝たの? 今、恋人の父親と愛人関係を結ぼうとしているの?
 そんなのって、神様は酷い。
 シンジーはあたしに嘘を吐いていた。
 お金が欲しかったのか、あたしと結婚したくなかったのか、それとも両方かも知れない。
 そんな男の為に吐くまで悩んで、着ていた服のウエストがぶかぶかになるまで痩せて、考えて、頭がおかしくなりそうな位に考えて、そしてファリカは娼婦になったというのに、それに対する報酬がこれとは。
「キティ?」
 ジョナスが呼ぶ。娼婦としてのファリカの名前を。
 ああ、シンジー、貴方を愛していたわ。だけど、だからこそ、許さないわ。
 定職にも就かず遊び歩いているとジョナスは言った。シンジーはファリカには大工の修業をしていると言っていたがそれも嘘だったのだろうか? そう言えば、シンジーは何処の現場でどんな建物を建てているのかとか親方の名前はとかを教えてくれたことは一度もなかった。
 笑いたい。嗤いたい。
 あたしと結婚する気がないのならそう言ってふってくれたなら良かった。お金が欲しいならデマをでっちあげるのではなくお金が欲しいと言ってくれたならまだ割り切れた。
「……一つだけ約束してくれたら、あたしの一生を上げてもいいわよ」
 衝動に突き動かされるようにファリカが言うとジョナスの顔に下卑た、だが娼婦であるファリカを自分と対等に扱おうとしているのと同じ誠実な、両極端の色が走った。
「何を約束すればいいんだい? 嗚呼、可愛いキティ」
 そしてファリカは残酷な言葉を紡ぐ。
「あたしの友達の一生が台無しになっちゃったからね、シンジーの所為で」
 家長がもつ聖書の、連綿と伝わってきた家系図の中から、シンジーの名前を削除して欲しい。
 それは心情的にも法的にも、カールスという一族がシンジーと縁を切る事を表していた。
「それは……」
 流石に口ごもったジョナスの様子を見て、ファリカは立ち止った。
「じゃあ、ここでさよならする?」
 ファリカが生まれて初めての賭け事。
 チップは自分の人生。
 アイスブルーの瞳を忙しなく瞬いていたジョナスはやがて父親である事を止める。
「いいだろう。キティ。君の一生と引き換えなら」
 シンジーが両親から受けていた援助は結構な額になるだろうとファリカは推測する。
 シンジーはさりげなく品のある衣服を纏っていたし、それに付随する靴や時計やアクセサリーの趣味も良くて、彼の隣を歩く事はファリカにとって喜びだった。
 それらをジョナスの援助が打ち切られてからも維持したいと願うのならば働くしかない。
 そしてファリカの直感が正しければ誰かの下で働く事などシンジーには出来はしないのだ。そう、思い返してみれば彼は常に傲慢だったではないか
「キティ、おおキティ」
 娼婦としての自分を呼ぶ声を聴きながら、ファリカは『キティ・キャット』こそ自分の新たな名前であると自覚した。
 恋人に騙されていたと知って『ファリカ』はショック死したのだ。
 女将と大将に何も言えずにジョナスの物になる事だけが『キティ』の心残りであった。