月宮天子―がっくうてんし―

多分、一生忘れられないだろう。

警官の夏服である青い半袖シャツを着た化け物が、ゆっくりと愛子に近づく。グルグルと咽の奥を鳴らし、化け物の気配を間近に感じるが、恐怖に目を開けることができない。

自分の一生は、あと五分もないかもしれない……。

愛子がそう思ったとき――ビュン! と耳の横で風が鳴った。


愛子は咄嗟に目を開く。その正体は、破れて穴の開いたボストンバックだった。


「こっちだ! 来いっ!」


振り向いた愛子の目に海が映る。彼女に向かって手を差し伸べている。走りたい、でも、立ったまま腰が抜けたみたいで足が動かない。


「う……うごけない。たすけて……」


そのとき、愛子の間近で化け物が咆哮を上げた。

邪魔されたことに怒っているみたいだ。


「逃げろっ!」


駆けつけた海に突き飛ばされ、愛子は山門付近まで転がった。

だが、逃げろと言われても、立ち上がろうにも膝がガクガク震えて頭も回らない。

それに、海を置いていくことが躊躇われた。喧嘩はしたことない。強いかどうかわからないと言っていたのに。それでも、海は助けに来てくれた!