助手席の千彩が、野菜ジュースのパックを片手に鼻歌を歌っている。それを横目で見ながらハンドルを切る晴人も、これで食事の心配は無くなったと、いつになく上機嫌だ。

「ねー、はる。どこ行くん?」
「ん?俺の仕事場」
「へぇー」

納得したのか、していないのか。千彩は視線を窓の外に戻すと、流れる景色を物珍しそうに眺めていて。初めて会った夜に聞いた言葉を思い出し、晴人はパックを片手に尋ねてみた。

「ちぃはずっとあそこに住んでたん?」
「うん」
「いつから?」
「んー。わからへん。あ!昨日行ったお店が見えた」
「ん?あぁ、せやな」

上手く誤魔化された気がして、ふーっと息を吐く。素知らぬ顔をしてストローを吸う千彩から、ちゅぅと小さく音が漏れた。

「ちぃ?」
「んー?あ!けーちゃん!」

窓に張り付いた千彩越しに見えるのは、面倒くさそうに荷物を抱えて歩く恵介で。遅刻の罰に雑用でも押し付けられたか…と、自分にも降り懸かって来そうな火の粉に晴人は眉根を寄せた。

「はる…怖い顔。怒ってるん?」
「え?あぁ、怒ってるわけちゃうで。ごめん、ごめん」

ちょうど車を停めるために後ろを見ようとして、バチリと目が合った。その不安げな表情に、チクリと晴人の胸の奥が痛む。

「大丈夫やから。な?」

腕に絡み付いた千彩の頭を撫で優しく声をかけると、窺い見るように視線を上げ、何度かの瞬きの後名残惜しそうに腕が解かれた。

晴人が千彩の異変に最初に気付いたのは、恵介の持ち込んだ服を選ばせている時だった。
あの時は、軽い言い合いをする自分達を今にも泣き出しそうな声で止め、途端に甘え始めた。宥めて着替えさせたものの、引っ掛かる言葉がある。


「ちさのせい?ごめんなさい」


確かにそう言っていた。
その理由を尋ねようにも、何だか憚られて。うやむやにしたままだったけれど、これは一度きちんと話をした方がいいかもしれない。そう思いながら頭を撫でていて、ふと腕時計が目に入る。

「あ!時間!」

慌てて運転席から下りて助手席の扉を開くと、千彩が今にも泣き出しそうな表情をしていて。屈んで視線を合わせると、不安げな目がどこに向けようかと視線を彷徨わせていた。

「行こ?おいで」

ポンと優しく頭を撫で、手を取って車から降ろしてやる。いつもより優しい声音も、そのまま指を絡めたのも、無意識だった。