「先生の家って、この辺りなんですか?」
阿久津は、前をまっすぐ見据えたまま「はい」とだけ答えた。
まさかこんなに近くに住んでいたとは。
だから、この前助けてもらった時もこの道を歩いていたのだ、と一人納得した。
「近所だったんですね」
奈緒がそう言うと、「ええ」とだけ言って、それ以上は何も話さなかった。
また沈黙が流れる。
奈緒は聞きたかった。
あの黒髪のきれいな女性のことを。
君島の言った、「よほどのこと」を。
今なら、聞ける。
でも。
切り出せない。
結局二人はそれ以上何も言葉を交わさないまま、アパートの前まで来てしまった。
「ここです。ありがとうございました」
「こんな夜に一人で公園に行くのはやめなさい。危ないですから」
阿久津がそう言って、その場から立ち去ろうとした時。
「先生」
奈緒は身体中の勇気をふりしぼって、阿久津を呼びとめた。