「私は、阿久津くんになにがあったのか、詳しいことまでは知りません。ただ……」

奈緒はマスターの顔を見つめた。

「阿久津くんを救えるのは、私はやっぱり愛だと思うんです」

マスターは奈緒に真剣なまなざしを向けた。

……救う。

……あい。

愛……。

「どうか、阿久津くんを、許してあげてくれませんか」

「許…す?」

奈緒は首を傾げた。

「そうです」

マスターはいつになく、きっぱりとした口調で言った。

「許す……」

「せめて、一度だけ、話を聞いてあげてください」

奈緒はマスターの突然の申し出に、戸惑った。



アルバイトの帰り、冷え込む真冬の夜道を、一人歩く。

コートに手を突っ込み、マフラーに顎をうずめながら足早に歩いていると、いつもの公園にさしかかった。

『どうか、阿久津くんを、許してあげてくれませんか』

マスターの言葉が頭をもたげる。

あんなマスター、初めて見た。

『せめて、一度だけ、話を聞いてあげてください』

いつもは静かににこにこしているだけなのに。

ああいうおせっかいはしないのに。

ふと、立ち止まり、マンションを見上げた。

阿久津先生……。

……許すもなにも、もう今更だ。

今はクリスマスの約束をドタキャンされたことよりも、キスの現場を目撃されたことの方がショックが大きい。

もう。

私が阿久津先生を「許す」というような、立場ではないのだ。

もう、手遅れ。

完全に、手遅れ。