奈緒が顔を上げられないでいると、雅哉はそっと顎をすくい上げ。

そして。

奈緒の唇に、雅哉の唇がふわっと触れた。

突然の出来事に奈緒が目を見開いた瞬間。

雅哉の肩越しに、人影が見えた。

アパートの前に立っている背が高いその人物は、まぎれもなく阿久津だったのだ。

「な、んで……」

とっさに雅哉から離れ、阿久津を見る。

阿久津も、奈緒を見つめたまま突っ立っていた。

「どうしたの?」

雅哉は、奈緒と少し離れたところに立っている阿久津を交互に眺めた。

奈緒は呆然として動かない。

そして、そっと自分の唇を指で触れた。

「……ごめんなさい」

奈緒は、心ここにあらずというふうに呟き、とっさに走り出し、そして、阿久津の前を素通りした。

阿久津は、目の前を通り過ぎていく奈緒を呼び止めることができなかった。

奈緒は、アパートの階段を駆け上り、玄関の戸を閉めた。