南の海を愛する姉妹の四重奏

 くしゃくしゃの赤い髪。

 それを右手でおさえ、もう片方の手でドレスを掴み上げながら、ウィニーは通ったことのない廊下へと侍女に案内されていた。

 茫然の後のみじめさが、いまの彼女を包んでいる。

 何で、こんな目にあわなければならないのか。

 次期公爵であるレイシェスの妹として、目立たない程度に初めての晩餐会を楽しむ予定だった。

 あまりダンスは上手ではないが、公爵とも踊ってもらうつもりだった。

 そんな予定は、あの王太子の出現でボロボロにされてしまったのである。

 文字通り、髪はボロボロにされた。

 ホールから放り出され、みっともない姿で歩くウィニーは、王宮で働く人間たちの目にさらされる。

 表情を変えずに会釈して道を開ける警備兵や侍女たちに、どんな想像をされているのか分からないが、みじめさに拍車をかけてくれるのだけは間違いなかった。

 く、くやしい。

 相手は、王太子だ。

 どれほど理不尽な真似をされたとしても、ウィニーでは決して立ち向かえない相手。

 ロアアールにいる間は、彼女より上の人間は身内だけだった。

 母は論外だが、父や姉にこんな理不尽はされたことがない。

 ロアアールから離れてみれば、他人から非道な振る舞いをされるのだと、身を持って味わってしまった。

 何の抵抗も出来ない相手。

 その悔しさを、こうして一人ぼっちで味わわされながらも、自分がロアアールという殻に少なからず守られていたのだと痛感する瞬間でもあった。

「ウィニー」

 足取りも重く歩いていた彼女の背後から、駆けてくる音と声。

 慌てて振り返ると、スタファが追いついてきた。

 赤毛の髪が、少し乱れている。

 強硬なヘアセットにも関わらず、反乱を起こしかけているのだろう。

「スタファ兄さん……姉さんは?」

 心細かったウィニーは、追ってきてもらえて本当に嬉しく思いはしたが、同時にレイシェスを放ってきたのかと心配になった。

「ああ、余り大丈夫じゃないが……彼女にお前のことを頼まれた」

 険しい表情を眉間に浮かべながら、彼は低く呟く。

 大丈夫じゃない。

 それは、あの王太子が姉にちょっかいをかけているということだろうか。

 ウィニーの表情も曇ってしまう。

「わ、私は髪を直してもらうだけだから……姉さんについてあげて」

 あんな理不尽の塊の男が優しく振舞うなんて、彼女にはとても思えなかった。

 いま危ないのは、姉の方ではないのか。

 ウィニーは、そう思ったのである。

「心配するな。あの場には兄上もいるし、人目がありすぎて無体な真似も出来ないだろう」

 そんなスタファの意見に、彼女はとても賛同出来なかった。

 この頭こそ、無体の証拠そのものだったからだ。

 だが、それ以上スタファを追い返す言葉は、ウィニーにはなかった。

「ひどい目にあったな」

 ぽんと背中を押して、彼が一緒に歩き始めてくれたからだ。

 みじめな気分が、少しはましになった。

 スタファは、こんな理不尽な頭の事情を知っているし、同情もしてくれる。

 この恥ずかしい見た目の、半分の重みを一緒に抱えて歩いてくれるのだ。

「兄上が来られなくて、済まなかったな」

 そして。

 一番、嬉しい言葉を伝えてくれた。

 本来、ここにいるべきなのはフラの公爵だと言われたも同然だった。

 スタファは、姉についていたい心を抑えてここに来てくれたように、公爵もまた、自分についていたい心を抑えて、姉についてくれているのだろう。

 肩書や立場で、出来ることは違う。

 それでも、こうして出来る限りの助けの手を差し伸べられるのは、心地よかった。

 そんな中、ようやく髪を直せる部屋に到着したのか、侍女は扉を開ける。

「外で待っている」

 スタファとは、そうして扉で仕切られた。

 ウィニーは、鏡の前に座らされる。

 王太子の侍女たちなのだろうか、彼女らは静かに、そして出来るだけ手早く動くことを心がけているように見えた。

 お湯が運ばれ、温められた布でパキパキに固められていた髪が解かれてゆく。

 ウィニーには、多くの不安があった。

 この、非常に性質の悪い髪を、よその侍女がうまく出来るだろうか、と。

 そんな彼女の不安は的中し、無言ながらに侍女たちは苦戦しているようだった。

 公爵の娘だと知っているのかは分からないが、とにかく丁寧に丁寧に仕事をしようとする余り、ほとんど力を入れて髪を引っ張らないため、全然言う事を聞かないのだ。

 周囲の侍女たちの間に、微妙な空気が通り過ぎた後。

 救世主が登場した。

 貫禄のある50歳くらいの赤毛の女性が、颯爽と登場したのである。

 南長様。

 そう呼ばれているので、侍女頭の一人ではないだろうか。

 少しふっくらした南長は、侍女たちを挫折させたウィニーの髪を見るや、笑いそうになり慌てて顔を元に戻す。

 咳払いをしてごまかしたようだが、ウィニーはしっかりとそれを目撃した。

 おそらく、何が起きたか分かった上で、おかしくてしょうがなかったのだろう。

 だが、さすがは赤毛の持ち主。

 櫛と整髪剤を持つや、ウィニーの髪を多少痛いほどに引っ張って結い上げていく。

 この髪に生まれた時点で、引っ張られるのには慣れているとはいえ、なかなか豪快なやり方である。

 しかし、ピンを多用し、逃げたがる髪を手早くおさめていくのは、見事としか言いようがない。

 髪飾りをつけ、新しい髪型として出来上がった時、周囲の侍女たちは心底ほっと安堵のため息をついていた。

 そんな、穏やかな空気を。

 壊すような騒ぎが、扉の外から聞こえてくる。

「いまはまだ、仕度中です」

 スタファの声。

 切羽詰まった彼の声に、ウィニーが何事かと振り返った時には。

 扉は、開け放たれていた。

 犯人は。

 馬──ではなく、王太子だった。