玄関前にたどり着き、インターホンに伸ばしかけた手を下ろした。
ドアの向こうの人に私のはやる気持ちを気付かれたくはなかった。
彼に会いたくて来たのではない、用事があったから出向いてきたのだと
自分に言い聞かせる。
ドアから一歩退き、ゆっくりと呼吸を整えた。
再度インターホンに手を伸ばしたと同時に、玄関ドアが開いた。
「早かったね。入って」
「すぐにお出かけになるんでしょう? お時間は大丈夫?」
「一時間くらいなら大丈夫だよ。出張はどうだった。向こうは暑かっただろう」
「予想以上の暑さだったわ。
おかげさまで、こちらの要望どおりに事が運んだの。
足を運んだ甲斐があったわ」
「それは良かったじゃないか」
私は平静を装いながら会話を続けていた。
彼の声も背中もなにもかもが恋しくて、気持ちの昂ぶり抑えるのが
精一杯なのに、ゆったりと話すことで気持ちを隠し続けた。
彼はいつもと変わらぬ態度で接してくる。
私と親密な夜を過ごしたというのに、憎らしいほど落ち着き、感情の
揺らぎなど微塵も見えなかった。
「紫子さんに連絡がつかなくて困ってたの。写真、助かりました。
それで、宗一郎さんのご用って」
「着るものに困っている。着こなしに粗相がないようにと言われても、
俺にはわからなくてね」
今夜の会合の相手が服や着こなしに一家言(いっかげん)ある人物らしく、
背広に気を配ったほうがいいと、秘書の平岡さんからの伝言だったそうだ。
そういわれても、背広のどこに気を配ればいいのか皆目わからず、
クローゼットの前で腕組みをしていたところだと、宗一郎さんは苦笑いした。
お洒落な男性は、大きくわけて二つに分かれる。
着ている服を誇示するタイプと、見えない部分に気を配るタイプ。
平岡さんの伝言から、今夜の相手は後者だろうと見当をつけた。
「お手持ちのカフリンクスを見せてくださる?」
「カフスか、ちょっと待ってくれ」
ほどなく彼が持ってきたのは、カフリンクスが綺麗に整理されたケースだった。
そこには、私が贈った物も収められており、私の視線に気がついたのか
「それ 良く使わせてもらっているよ」 と嬉しい言葉が聞こえてきた。
並んだカフリンクスの中でひときわ目を引く一品があった。
古い物ではあったが、手の込んだ細工があり、使い込まれた艶が品を
添えていた。
「年季の入ったものだわ。使い込んだあとが見えて重みを感じるもの」
「形見の品なんだ。例の大叔母の夫だった人のカフスだよ。
贈ったのは大叔母らしいが、大叔父もお洒落な人だったよ」
「これにしましょう。こういう物こそ、本当のお洒落をわかった方が
使うべき品なの」
彼の腕をとり袖口に取り付ける。
その間、私はカフリンクスについて知っている限りの知識を語り、
袖口に気を配ってこそ上級のお洒落なのだと話し続けた。



