三谷さんから、こちらのマンションからの眺めは格別ですよと教えてもらった

こともあり、食事のあと、案内されたバルコニーへと出た。

シャンタンのエレベーターからの眺めも素晴らしいけれど、ガラスを通さずに

見る街の眺めは、息を飲む美しさだった。

風の冷たさも光の美しさを引き立たせているようで、薄い三日月が艶やかに

見えた。



「ちょっとした自慢なんだ。今日は特に空気が澄んでいるようだね」


「都会の風景に自然まで感じるとは思わなかったわ。

素敵な所に住んでらっしゃるのね」


「ひろさんに来てもらうようになってから、

マンションに帰ってくることが増えたよ。夜景を楽しむ余裕もできた」


「いいことだわ。宗一郎さんの立場では仕方がないのでしょうけれど、

忙しすぎるもの」


「それは君だって同じだろう」


「えぇ……蒔絵さんと平岡さん、楽しんでくださったかしら」


「さっきメールが届いていた。ありがとうございますと、

えらく他人行儀な文面だったけどね」



そういうと、携帯を開いて平岡さんからのメールを見せてくれた。 



「良かった。二人を応援したいと思っても、

私たちに出来ることは限られているでしょう? 今夜ならと思ったの」


「俺たちに感謝してると思うな」


「感謝しているのは私の方です。今夜はありがとうございました。

でも、せっかっくのお誘いだったのに、

私の思いつきで変更してしまったこと……ごめんなさい」


「そんなことはないさ。ひろさんの料理、言ったとおりだっただろう? 

君にも一度食べてもらいたいと思ってたからね。いい機会だったよ」



どちらも、会いたかったとは口にしない。

言ってしまえば、互いの立場を否定することになるのがわかっていた。

私たちは平岡さんたちとは違うのだ。

想い合うことはできても、それを認めて欲しいとは、決して口にできない

立場なのだから。


夜風の冷たさに、バルコニーの窓を閉めると同時に彼に抱きしめられた。

「あっ」 と大きく叫んだ私の口に指を立て 「静かに……」 と

小さな声でささやくと、彼の顔が穏やかに微笑んだ。

キッチンで立ち働く人に聞こえるよ、と言われたようで、部屋の外を伺う

素振りをした私を、宗一郎さんはふたたび抱きしめた。

きつく腕の中に閉じ込め、想いを感じてくれと言わんばかりの抱擁だった。

この人も、同じように会えない時間を寂しいと感じてくれていたようだ。

はずされた指の代わりに重なった唇に、すべてを忘れて応じている自分に

気がつき、はっと顔を離すと 


「……ここにいる間は何もかも忘れよう そういう時間があってもいいはずだ」 


私の心を見透かしたような言葉が彼からかけられた。


このひと時を一緒に過ごすために、私をここに呼んでくれたのだろうか。

何もかも忘れてゆっくりと呼吸ができる時間が、そこには確かに流れていた。