主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②

主さまの過去は水に洗い流す、と言った。


許したつもりだったが…まさか過去主さまと恋愛関係にあった女が現れるなんて。

しかも、自分と主さまだけしか入れない神聖な場所に…裸で…!


「う、うっ、ひどい…ひどい…!」


鋭い小石で脚を切っても爪の間に砂利や泥が入っても、なるべく早く主さまの屋敷から遠ざかりたくて小走りにかけ続けた。

幽玄町の住人たちが驚いた目で見ているのもわかっていたが、涙で顔がぐしゃぐしゃの息吹はわき目もふらずに幽玄橋までたどり着き、赤鬼と青鬼が呼び止めたにも関わらず幽玄橋を渡り――

そしてあと1歩で平安町だというところで立ちどまった。


「……ぅっ、う、主さまの…馬鹿ぁ…」


――追いかけてきてくれない――

どんな事情があるにせよ、自分が追いかけないでと言っても追いかけてきてくれるものと思っていたのに。


「も、やだ…!も、帰る…!」


「そこのお嬢さん、裸足でどこへ行くのかな?乗っていくかい?」


「!父様……!」


待ち構えていたかのように目の前で牛車が止まり、御簾が上がるとそこには少し困った顔をしている晴明が座っていた。

急にほっとして、心の中で何かが崩れ落ちてしまった息吹は――とうとう幽玄橋を渡り切り、差し伸べてきた晴明の手を握った。


「事情はまだよくわからぬが、振り切れぬ十六夜が悪い。さあ、父様と屋敷へ戻ろうか。ゆっくり話を聞いてあげよう」


「父様…父様ぁ…!」


先程見てしまった光景をうまく説明できずに泣き続ける息吹の背中を擦りながら、晴明の中で煮えたぎるような殺意が巻き起こる。

…主さまは育ての親でもあるが、息吹は自分が育ての親だ。


きっと主さまなら息吹を幸せにしてくれると思って後ろ髪引かれる思いで嫁に出したというのにこの仕打ち――


「息吹…私はあの女が何者か知っているが…聞きたいかい?」


「いや…っ!もう何も…何も聞きたくない!」


「では…十六夜本人から話を聞くかい?」


「それもいや…!主さまとは顔を合わせたくない!」


泣きじゃくて縋り付いてくる息吹の心情が痛ましく、しばらくの間は主さまが屋敷に押しかけてきても会わせない、と息吹に約束して、愛娘を抱きしめ続けた。