主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②

林の奥の温泉にたどり着くと、だんだん陽が上って来て薄暗くなってきたので、息吹が手拭いを手にじりじりと後ずさりをして離れていく。

それをすぐに察した主さまは、問答無用で息吹を抱き寄せると帯に手をかけてくるくる回した。


「ぬ、主さまっ、駄目!」


「何が駄目だ、ここまで来ておいてやっぱり入らない、なんてことは絶対に許さないからな。覚悟しろ」


何が何でも一緒に温泉に入りたい主さまはいつもよりさらに強引で、脱がされてしまった息吹は慌てて手拭いで身体を隠すと、後ずさりをしながら顔を真っ赤にして温泉に飛び込む。

…一応脱衣所らしきものはあるので、実はかなりどきどきしていた主さまは竹林で囲まれている脱衣所へ行って大きく深呼吸をして気を静めると、着物を脱いで腰に大きめの手拭いを巻いた。

こうして誰にも邪魔されずに一緒に風呂に入れる機会は滅多にない。

だが少し気になることがひとつ。


あの八咫烏が3本の脚でよちよち歩きながらついて来ていたのだ。


「…なんだ晴明。邪魔をするな」


『邪魔はしていない。私の愛娘が危険な目に遭っていないか見張っていただけだよ』


八咫烏の大きな嘴が人の言葉を発した。

その声は間違いなく晴明のもので、仁王立ちして温泉の前に立ちはだかった主さまは、八咫烏の嘴を大きな手で掴んでにらみを利かせた。


「息吹の肌を見るな。いくら父親の立場を振りかざしてもこれだけは許さない」


『肌など息吹が幼い頃から嫌というほど見てきた。あの子はひとりで風呂に入るのを怖がったからねえ。実はそなたと再会する直前まで……』


「…それ以上言うな。いいか、そこから動くなよ。今邪魔をされると本気で殺すかもしれない」


かあ、と小さく鳴いた八咫烏が脱衣所で細い脚を折り畳んで座り込むと、主さまはようやく温泉へ辿り着いて背中を向けて湯に浸かっている息吹を見つけた。

普段ははつらつとしているので色っぽさとは無縁だが――今の息吹はどこか艶めかしく見えて、また動揺しながらも少し離れた場所に浸かって白い背中を見つめ続ける。


「…主さま…視線が痛いよ。み、見る位なら隣に来て」


「……怒りは収まったか?許してくれるまではここでいい」


「主さまが思ってるほど怒ってないから。主さまが女たらしなこと位夫婦になる前から知ってたし。浮気は嫌だけど、女遊びしてたのは過去のことだから水に流してあげる」


肩越しにふんわり笑いかけてきた息吹がすすっと近寄って来て隣に座った。

主さまはお湯の中で息吹と手を繋いで、安堵の息をついた。