主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②

机の上に置いてあったはずの巾着袋は…消えていた。

もう主さまと会わないし話さないと決めていた心が揺らいで、机の前に座った息吹は主さまの手の残像を追って掌で机を撫でる。


「…会いに行くべきなのかな…」


椿姫とは男女の関係でもなければ、では何故長い間一緒に暮らしていたのか――晴明はあまり語ってくれない。

むしろ逆に椿姫に会いに行った方がいいと諭されていたので、お茶を飲みながらしばらく考え込んだ息吹は、夕餉の準備をするために台所へ行くついでに晴明の部屋へ行って中を覗き込む。

するとすぐ気付いた晴明は巻物から顔を上げてにこりと微笑んだ。


「おや、どうしたんだい?」


「今から夕餉を作ろうと思って…」


だが息吹の表情から何かを読み取った晴明は、脇に巻物を置くと腰を上げて息吹の肩を抱いて顔を覗き込んだ。


「迷いが生じている顔をしている。どうしたのか父様に話してごらん」


優しい問いかけにもやもやを解消したい息吹は、廊下にとすんと正座して晴明の手を握った。


「椿さんに…会いに行こうと思って…」


「ああ、それはいい考えだね。何が起きて何故こうなったのか、椿姫が全て話してくれる。十六夜は話下手故あてにならぬ」


「ふふっ、そうだね…。ねえ父様…私の部屋に結界なんて張ってないんでしょ?さっき主さまが来てたみたいだよ?」


晴明が大仰に目を見開いて驚いて見せると、息吹の手を引っ張って立たせて優しく頭を撫でた。


「そうだったのかい?結界は張っておいたつもりだったのだが…十六夜がそなた会いたさに破ったのかもしれぬな」


嘘だとわかったが、息吹は晴明の腰に抱き着いて抱きしめてもらうと、小さな声で礼を言った。


「ありがとう父様。…私…主さま以上に好きな人なんてもう現れない気がする…」


「あれは色男だからねえ。故に今後も女子が群がることもある。長い生を独り身で終わらせるのは忍びないが…」


「いいの。この子が産まれたら一緒に生きていくから。でもその前に何が起きたかちゃんと知っておかないと…」


腹の中からぽこぽこと蹴ってくる我が子を愛しむように撫でた息吹は、大きな決断を下そうとしていた。