主さまを見送った後、息吹は周の部屋を訪ねて中へ入れてもらった。
そういえばひとりで部屋に来いと言われていたので何を言われるのかと思って心構えだけはしていたのだが――
「さて、陽が暮れた。約束通りわたくしと共に温泉へ参ろう」
「あ、はい。お義母様…何か私にお話があるんじゃなかったんですか?」
「はて、あったような、なかったような…。息吹姫」
音もなくすうっと段差から立ち上がった周は、きっちり正座をして見上げてきた息吹を静かな瞳で見下ろした。
元々目元が吊っているので険しい印象を与えがちだが、息吹はそれに動じた様子もなくきょとんとしている。
主さまは――常に他人に畏怖を感じさせて、平伏させる才があった。
故に心を開く相手は晴明や銀など数が少なく、そんな中でもどんなに見合いを進めても首を縦に振らなかった息子が選んだ女が、息吹。
しかもけちがつけようもない妻で、言おうと思っていた小言などすでに吹き飛んでいた。
「お義母様?」
「なんでもない。この村の湯は疲れに効く。十六夜が百鬼夜行から戻って来たならば、共に入るとよい」
「え…でも…恥ずかしいです…」
「何を言う、そなたには孫を生んでもらわねばならぬのだ。そんなことで恥ずかしがってもらっては困る」
周が意外に優しい女性だったので、息吹は心から安心して安らぎながら、一緒に屋敷を出て坂を下りた。
温泉は村の外れにある林の奥にあるらしく、丘の上からは湯気が見えていた。
「お義母様、潭月さんって面白い方ですね。主さまは避けてるけど、私、もっとお話ししてみたいです」
「話さぬ方がよい。あれは気まぐれで一風…いや、一風どころかかなりの変わり者じゃ」
「ふふっ、主さまも気まぐれですよ。気まぐれでなきゃ私なんか拾わなかったと思うから」
――出会いを思い出す。
幽玄橋の上に捨てられていた時は赤子だったからその頃のことは覚えていないが、それでも山姫や雪男から聞いた話では、主さまが傍に置くと決めたことで食われる運命から逃れられたこと。
気まぐれであっても、今ある命は主さまが助けてくれた命。
「主さまは本当に優しいんです。私よく怒られるけど全然怖くないんです。とっても不器用で、面白くてあたたかい人です」
「…そうか…。あの子の雰囲気は変わった。そなたが変えたのじゃな」
息吹の手をそっと繋いで驚かれたが、息吹はそのまま周の手をやわらかく握って笑い合うと、林の奥へと向かった。
そういえばひとりで部屋に来いと言われていたので何を言われるのかと思って心構えだけはしていたのだが――
「さて、陽が暮れた。約束通りわたくしと共に温泉へ参ろう」
「あ、はい。お義母様…何か私にお話があるんじゃなかったんですか?」
「はて、あったような、なかったような…。息吹姫」
音もなくすうっと段差から立ち上がった周は、きっちり正座をして見上げてきた息吹を静かな瞳で見下ろした。
元々目元が吊っているので険しい印象を与えがちだが、息吹はそれに動じた様子もなくきょとんとしている。
主さまは――常に他人に畏怖を感じさせて、平伏させる才があった。
故に心を開く相手は晴明や銀など数が少なく、そんな中でもどんなに見合いを進めても首を縦に振らなかった息子が選んだ女が、息吹。
しかもけちがつけようもない妻で、言おうと思っていた小言などすでに吹き飛んでいた。
「お義母様?」
「なんでもない。この村の湯は疲れに効く。十六夜が百鬼夜行から戻って来たならば、共に入るとよい」
「え…でも…恥ずかしいです…」
「何を言う、そなたには孫を生んでもらわねばならぬのだ。そんなことで恥ずかしがってもらっては困る」
周が意外に優しい女性だったので、息吹は心から安心して安らぎながら、一緒に屋敷を出て坂を下りた。
温泉は村の外れにある林の奥にあるらしく、丘の上からは湯気が見えていた。
「お義母様、潭月さんって面白い方ですね。主さまは避けてるけど、私、もっとお話ししてみたいです」
「話さぬ方がよい。あれは気まぐれで一風…いや、一風どころかかなりの変わり者じゃ」
「ふふっ、主さまも気まぐれですよ。気まぐれでなきゃ私なんか拾わなかったと思うから」
――出会いを思い出す。
幽玄橋の上に捨てられていた時は赤子だったからその頃のことは覚えていないが、それでも山姫や雪男から聞いた話では、主さまが傍に置くと決めたことで食われる運命から逃れられたこと。
気まぐれであっても、今ある命は主さまが助けてくれた命。
「主さまは本当に優しいんです。私よく怒られるけど全然怖くないんです。とっても不器用で、面白くてあたたかい人です」
「…そうか…。あの子の雰囲気は変わった。そなたが変えたのじゃな」
息吹の手をそっと繋いで驚かれたが、息吹はそのまま周の手をやわらかく握って笑い合うと、林の奥へと向かった。

