「あのう、幸子さん。一目惚れって信じますか」彼は口を開いた。白い歯が、爽やかな印象を連れてくる。

「一目惚れ、ですか。そうね。私はあまり」

「ぼくもあまり信じてないんですが」

困ったように、頭を掻きながら、彼は微笑む。

「驚くことに、あなたが、好きになりました」

一目惚れですよ、と彼は言った。青年の背中は凛としている。今の夫とは大違いだ。店内に陽光が降り注ぐ。ちりん、と客の出入りする音と、いらっしゃいませ、というウエイトレスの声が響いた。



回想を中断し、夫の出て行った扉を眺める。溜め息が自然とこぼれた。結婚記念日の今日も彼は何も言わずに出勤した。

二人は付き合った頃から、このマンションに住んでいる。結婚当初は花畑の新鮮な香りがした部屋も、今では暗く澱んでいる。昔は日光に照らされて、柔らかい雰囲気を醸し出していた家具も、どこかよそよそしい。