あの夏よりも、遠いところへ


北野さんの妹か、と優しく微笑んだ彼を思い出す。やっぱり、べつに雪ちゃんを嫌っているようには見えなかった。

むしろ逆に、とても意識していたような。


「大丈夫でしょ」

「え?」

「褒めはしても、貶しはしてなかったよ、雪ちゃんのこと」


だけど悔しいから、それだけしか教えてあげない。

気になるなら自分で訊いてみればいいんだ。「私のこと嫌いなの?」ってさ。


「……じゃあ、あした話しかけてみようかな」

「いいじゃん。そうしなよ」

「うん。がんばってみる」


恋する乙女って、こういう顔をするものなんだ。クラスメートの恋バナって面倒だから、あんまり参加しないんだけど。

こんな顔、わたしにはできる気がしない。陽斗のことは好きだと思うけれど、わたしはきっと、一生かかってもこういう女の子にはなれないんだろう。


「……雪ちゃんは、かわいいね」

「え!? かわいくないよ!」


かわいいよ。その台詞すら、どうしようもなくかわいいんだよ。


「ねえ、きょうも弾いてよ、ブラームス」


ショパンを、とは、どうしても言えなかった。

ふたりだけの秘密にしたかったから。わたしがショパンを好きってことは、まだ陽斗にしか教えていないよ。