あの夏よりも、遠いところへ


ショパンの話で盛り上がった。ショパンのピアノ曲は本当にいいよな、なんて言う陽斗の瞳はとても生き生きしていて、なんだか可笑しかった。

久しぶりにピアノに触りたい。ショパン、弾きたいなあ。


「いつか、陽斗のピアノも聴かせてよ」

「嫌だよ。普段から北野さんの演奏聴いてるやつになんか、絶対聴かせない」

「うわ、けちだなー」


この大嫌いな世界で、好きなものなんか見つかるはずないと思っていた。

くだらなくて馬鹿馬鹿しい、こんな世界に、そんなもの絶対に無いって。


……けど、見つけた。


「じゃあおれ、そろそろ腹も減ったし行くわ。暑くなってきたし」

「わたしはもう少しここにいる」


見つけたんだよ、陽斗。こんなにも簡単に。

嫌いだらけだった世界で出会ったはずの陽斗を、たった数時間で、こんなにも好きになった。好きになれた。

これって、まるで奇跡だ。


「そっか。じゃあな、朝日。北野さんによろしく言っといて」

「……うん、分かった」


陽斗が「北野さん」という言葉を発するたびに胸がちくりと痛む。

彼にとって雪ちゃんは、たぶん、どうしても気になる存在なんだ。ピアニストの息子だからかもしれない。けれどたしかに陽斗は、雪ちゃんを意識している。

悔しかったから口には出さなかったけど。


「……陽斗! また会える?」

「うーん。そうだな、今度はちゃんと、学校の無い時間帯にな」


逆光になった彼の顔はよく見えない。けれど微笑んでくれているような気がした。

陽斗って名前、本当にぴったりだ。