あの夏よりも、遠いところへ


もう涙すら出ないよ。


「……なんなの。初対面のくせに、好き勝手言っちゃってさ」


けれど、この男にも分かるのかもしれない。ピアニストのお父さんを持つ陽斗だって、たぶんきっと、色んなこと考えながら生きてるんだ。

同じかな。同じだといいな。

わたしみたいなやつが他にもいるって思うだけで、なんだか気が楽になるんだもん。


「まあ、でもさ。世界は理不尽なことだらけだから、諦めも大切だと思う」

「え……?」

「考えたって仕方ないじゃん。北野さんはたしかにすごいけど、朝日が身を小さくする必要なんてどこにもないっしょ」


陽斗はそう語りながら、わたしの頭を撫でた。

たった2年早く生まれただけなのに、その顔はとても大人びて見えて、どきどきした。


「好きなものから見つけていけば? 案外、難しくないよ」

「……だから、雪ちゃんのピアノだってば」

「『雪ちゃん』はもういいって。他にないの? 好きなもの」


他に、好きなもの? 急に言われても、そんなの思いつかないな。

ああそうだ。雪ちゃんは好んでブラームスを弾くけれど、わたしは昔から、ショパンが好きだったなあ。


「……ショパン」

「へえ、いいじゃん。おれも好き」

「本当?」


口に出したことはなかったけれど。

雪ちゃんと違うものを好きだなんて、まさか、わたしが言えるわけなかったんだよ。言っても意味ないもん。