あの夏よりも、遠いところへ


陽斗は口元に笑みを浮かべたまま、「でもおれには才能が無いからさ」と言う。


「そうなの?」

「うん。ほんと、父さんと比べるのやめてほしいよな」


あ、少し分かる、その気持ち。

比べられることのつらさを、わたしは誰よりも知っている。


「……わたしがピアノを辞めたのも、同じだよ。お姉ちゃんと比べられるのがすっごくむかついて!」

「へえ。お姉さん、そんなに上手なんだ?」

「上手ってもんじゃないよ。それに、できるのはピアノだけじゃないの。頭も良くて優しくて、非の打ち所がないんだもん」


自分で言っておきながら、まったく、悲しくなっちゃう。

雪ちゃんの良いところを列挙するたびに、わたしのダメなところが浮き彫りになって、心臓を抉り取られるみたいなんだ。


「それにね、名前だよ、名前」

「名前?」

「わたしは北野朝日なんていう冗談みたいな名前なのに、お姉ちゃんは小雪なんだよ。北野小雪。きれいすぎて嫌になっちゃう」


見ず知らずの人にこんな愚痴をこぼすなんて、わたしもずるいな。

分かってはいても日ごろの鬱憤は止まらなくて、くちびるは休むことなく動くんだから、困る。


「……朝日って、もしかして。北野さんの妹?」

「へっ?」

「おれ、北野さんと同じクラス。斜め前の席だよ」


時が止まった。もはや声も出ない。ちょっと、世間、狭すぎじゃないの。