あの夏よりも、遠いところへ


なんだか変な感じだな。いつもなら学校に行っている時間を、初対面の男と、こんな場所で過ごしているだなんて。

なんだか世界が明るく見えるのは、たぶん気のせいじゃない。


「陽斗は学校が嫌いなの?」

「べつに嫌いじゃないよ。行きたくない日があるだけ」

「ふうん」

「はは、朝日は嫌いなんだ、学校」


べつに、わたしだって学校が嫌いなわけじゃない。さぼったのだってこれがはじめてだし。

嫌いなものが世の中に溢れすぎて、どれが嫌いかなんて、いちいち考えてられないや。

……でも、好きなものなら、ある。


「お姉ちゃんのピアノ」

「ピアノ?」

「好きなんだ、お姉ちゃんのピアノ」

「へえ。朝日は弾かないの?」

「うん、辞めちゃった。才能無くってさ」


ピアノか、と陽斗は小さく呟いて、目を伏せて笑った。


「おれも好き」

「ピアノ? 弾くの?」

「弾くよ。父さんがピアニストなんだ」

「へえ! すごい!」


ピアニストってすごいなあ。しかもお父さんが!

男の人が弾くピアノって女の人よりも力強くって、わくわくする。身近にピアノを弾く男性がいないから、なんだかとっても新鮮だ。