1曲弾き終えると、彼女は柔らかい髪を揺らしながらわたしを振り返る。

今夜はブラームスだった。雪ちゃんは本当に、ブラームスが好きだなあ。


「ねえ、朝日ちゃんはもう、ピアノは弾かないの?」

「弾かないよ。ピアノ、別に好きじゃないし」

「そっかあ。私は朝日ちゃんのピアノ、大好きなんだけどな」


嫌味でもなんでもなく、そういう台詞を本気で言えてしまうところが、雪ちゃんの憎いところ。


才能だと言ってしまえばそれまでだけれど、わたしはいっさい練習をしようとしなかったもんね。

嫌だったんだ。なんでもできる雪ちゃんと比べられることが、とても。


「朝日!」


お母さんも、きっとそれをよく分かっている。


「……もう、なに?」

「いつまでだらだらしてるの! お風呂入りなさい。小雪(こゆき)ちゃんの練習の邪魔しちゃダメでしょう!」

「あーもう、はいはい」


突然部屋に入ってきて、突然それだけを吐き捨てたお母さんは、恐ろしい力でドアを閉める。

雪ちゃんは申し訳なさそうに小さく笑って、何も言わずに再びピアノを弾き始めてしまった。


この世界は理不尽なことだらけで、嫌になる。

姉はなんでもできる優しい美人。対する妹は、愛想すら微塵も無いズボラ。

本当に同じ遺伝子情報を組み込まれているのかすらもう、怪しいよ。