あの夏よりも、遠いところへ


ポンコツの脳ミソは正常に働いてくれない。ぼんやりとその姿を見つめる俺に、彼女は小さく笑った。


「びっくりしてる?」


してるに決まっている。だって、どうしてサヤが――


「私、ここの大学に通ってるの。朝日ちゃんに聞いてないかな。普通はしないか、お姉ちゃんの大学の話なんて」

「……あっ」


サヤじゃない。そうだ。とても似ているけれど、違う。


「北野の……」

「『小雪』でいいよ、蓮くん」


小雪さんは水色のスカートをふわりと揺らして、俺の隣に移動した。


「通路を歩いてたら、すごく素敵なショパンが聴こえてきて、こっそり覗いちゃった。びっくりしたよ。そしたら蓮くんが弾いてるんだもん」

「小雪さんも、ピアノを……?」

「うん、弾くよ。私、ここのピアノ科だよ」


くらくらした。今度こそ倒れそうだ。

もう分かんねえ。サヤと小雪さんが別人だって言われるほうが納得できねえよ、こんなの。


「優しい音を出すんだね。好きだな、蓮くんのピアノ」


そんな、サヤみたいな台詞を、サヤみたいな顔で言うなよ。

交錯する。どうしようもできねえ気持ちと、ダメだ違うっていう冷静な判断。

どうしてこの女は、サヤじゃねえんだよ?