ドメスティック・エマージェンシー

「じゃあ、やるんやな?」

後戻りは出来ない。
男の声が警告音のようにリピートする。

それでも、いい。
この憎悪を、苦しみを、あいつらに思い知らせてやりたい。

私は返事をしようとし、しかし、慌てて口をつぐんだ。

――葵の笑顔が浮かんだのだ。

……葵……
躊躇し、戸惑う。
自分の中の、葵の存在は存外大きいことを知る。

後戻りは出来ない。
返事をすれば、普通の生活はおろか一般人には戻れないかもしれない。
それは、葵ともだろうか……葵とも、今のように笑い合えないのだろうか。

はらりと雨に紛れて白い紙切れが私の目の前を舞った。
溶けて消えてしまいそうな紙切れを慌てて捕まえる。
見ると、数字がずらりと書かれていた。

「これ……」

「俺の仮の電話番号や。答えが決まったら、掛けてこい。傘は悪いけど持ってくで。何が拍子で捕まるかわからんからな」

そう言い残し、男は踵を返した。
遠ざかるその背中をぼんやりと見つめ、男の残していったメモをおもむろにポケットに閉まった。