【1】




 凛々子は夜の海岸に立っていた。

 ここも、凛々子にとっては馴染みのある場所だ。

 昼間サヤカとランチを食べたあの喫茶店がある、凛々子のアパートからそう遠くない海岸。



「………ほらね」



 凛々子は呟く。

 あたしなら、大丈夫。

 その言葉をくれた眼鏡の店員がいる喫茶店も、ちゃんと遠くに見えている。

 ただ、いつもは穏やかな海が、今夜に限って荒れに荒れていた。

 サーファーが泣いて喜びそうな大波が砂浜に打ち寄せている。

 現実では、この海がこんなに荒れているのは、見たことがなかった。

 ――…そう、これは、夢。

 夢の中で、凛々子は夢を見ているんだと確信している。

 だから、あたしは大丈夫。

 その時、ざわざわとした気配を感じた。

 一筋の生温い風が吹き、首の後ろあたりに鳥肌が立った。

 また、来る。

 あの黒い影。

 凛々子はじり、と右足を一歩後ろに下げたが、左足だけは何とか踏みとどめる事が出来た。

 あたしなら大丈夫。

 心の中で、最早、魔法のようになっているこの言葉を繰り返して。

 その魔法の言葉のおかげなのか、何故か、今夜はこんな風に思ったのだ。



“あの黒い影から、逃げちゃダメだ”



 だから、今夜こそは逃げないで立ち向かおう。

 凛々子はじっと、黒い影を見つめた。

 だが、その時。



「何やってんだ、バカ!!」



 いきなり、そんな声が聞こえた。

 だがどこから聞こえているのか分からずに、凛々子はキョロキョロと辺りを見回す。

 その声の持ち主は、明らかにバカにするような口調で、ため息まじりにまた言葉を発する。



「……あのなぁ。空間は立体なんだ、横ばかり見てんじゃねェよ。上だ、上」



 何をコイツは人の夢の中で威張っているんだ、と、凛々子は多少ムッとしながらも言われた通りに上を見た。

 すると、人間が一人、腕を組んでこっちを見下ろしながら、宙に浮いている。

 夢の中はいつも夜だから、その人物の風貌までは確認することが出来なかったが、確かにそれは、人間のように見えた。

 へぇ…と、凛々子は自分に感心する。

 あたしの想像力も、捨てたものじゃないんだ。

 こんな人間ばなれした人間を、夢の中に登場させることが出来るなんて。