あんなのに捕まったら、間違いなく殺される。

 理由なんて全然思い付かないけれど、何故かそんな感じがして、凛々子は必死で走る。

 だが、夢の中の自分は信じられないほど、走るのが遅い。

 思いきり手足を動かしているのに、身体が全く前に進まない。

 黒い影は、どんどん後ろに迫る。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ―――!!

 恐い!! 恐い!! 恐い!!

 もっと早く、もっともっと早く!!



「……!?」



 目が覚めて、凛々子の目に最初に入ってきたのは、見慣れた天井だった。

 いつもの狭いアパートの、いつもの天井。

 だが、凛々子の心臓の鼓動は、早鐘のようにドキドキと脈打っている。

 起きたばかりなのに、息も荒い。

 仰向けの状態のまま額に手を当てると、まだそんなに暑くないのに、うっすらと汗をかいていた。

 部屋の電気はつけっぱなし、テレビは…確か、元々つけてはいなかった。

 テーブルの上には、半分くらい残った麦茶が置いてある。

 氷はすっかり溶けて、麦茶の上の部分だけ透明になっていた。

 凛々子は大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出すと起き上がった。

 テレビの上に置いてある時計は、真夜中の2時を過ぎたところだった。

 また、同じ夢。

 あの黒い影は、夢の中で毎日追いかけて来て。

 必死で逃げても、何故か思うように身体が動かなくて。

 そして、目が覚めると必ず頭痛がする。



「全く……訳わかんない」



 こめかみを押さえ、イライラしながら凛々子は小さく呟く。

 せっかく昼間、あの喫茶店の眼鏡の店員が頭痛を治してくれたのに。

 ……と、そんなことを考えて。

 凛々子は、思い直す。

 この頭痛は、あの眼鏡が治したんじゃない。

 あの眼鏡が凛々子の肩に手を置いた途端に“偶然”頭痛が消えたのだ。

 そう、偶然。

 だが、おかしな部分がひとつ。

 あの時、眼鏡は何も言わなくても凛々子の頭痛を見抜いていた。




『君なら大丈夫。だから頑張って』




 そして、眼鏡は確かにこう言った。

 何気ない言葉だけれど。

 凛々子だけではなく、誰にでも当てはまる、ありふれた励ましの言葉だけれど。

 それを思い出したら、何だか少し元気になった。

 あたしなら大丈夫。

 たかがこんな夢、大したことはない。

 所詮夢なんだから、あの黒い影に捕まったとしても“本当に殺される”訳がない。

 ローソファーなんかで寝ているからきっと、息苦しい体勢になっちゃっているんだ。

 だから、夢見が悪い。

 凛々子は頭の中でそう強く思い込み、今日こそはちゃんと布団でゆっくり寝ようと、ロフトに上がる。

 そして布団に入り、目を閉じた。

 あたしなら、大丈夫。

 そう、自分に言い聞かせながら――。