凛々子が中年男に飛びかかり、ナイフで切りつけられて、左腕を怪我をするのも。

 ひどい怪我をしながらも、凛々子が女の子を後ろ手に庇ったのも。

 ナイフを落とした中年男が、今度は凛々子に掴みかかろうとするのも。

 凛々子は女の子に、逃げて、と叫び。

 中年男に殴られて、凛々子は倒れて。

 倒れたその手の先に、ナイフが落ちていたのだ。

 凛々子に覆い被さろうとする男。

 そして。

 ……その後の、結末も。

 瞬きひとつせずに、浩二はその場を動けなかった。

 凛々子も、中年男も血だらけで公園に倒れている。

 人間の身体からあんなに血が流れているのを見たのは、生まれて初めてだった。

 我に返ったのは、たまたまその後に公園を通りがかった、両手にスーパーの袋をぶら下げたオバサンが、大きな金切り声を上げたから。

 その声に弾かれるようにして、浩二は全力でその場から逃げ出した。



「ごめん…」



 一気に全部話をしてから、浩二は謝った。

 凛々子は、俯いたまま、何も言わない。

 烏龍茶のペットボトルは横に置いたままで、右手はずっと、左腕を握り締めていた。



「ごめん、本当に…俺があの時、もっと早く安堂さんを助けてあげられていたら…いや…俺、そんな勇気ないから…せめてもっと早く、誰かに助けを求めに走るべきだった。そしたら、安堂さんも」

「もういいよ」


 浩二の言葉を遮って、凛々子は言った。

 その口調は、浩二を責めてはいなかった。


「起こってしまった過去は、もう変えられないの…だからこれは、仕方がないのよ」

「………」



 浩二は俯いたまま、黙っている。

 そんな浩二に、凛々子は優しい視線を送って。



「最近になってやっと少しずつ、そう思えるようになってきたんだ。キッカケはあったけど…うん、辛い事もあったけど、今は、そのキッカケに感謝してる」



 もう辺りはすっかり暗くなっていた。

 だが、港にある街灯の明かりが、足元を照らしてくれている。



「桜井くんもずっと、悩んでたんだよね? それなのにちゃんと、言ってくれてありがとう」



 浩二は顔を上げた。

 凛々子は笑って。



「サヤカから聞いたよ。桜井くん、クラスメイト全員を怒鳴りつけたんだって?」

「…聞いたの?」

「うん。あの大人しい桜井くんが、そんなことしたなんて…信じられないけど」



 凛々子が言うと、浩二は少しだけ、照れ臭そうに笑った。