季節は春を迎え、木々や草花は花をつけて街は明るい空気に包まれていた。
 だが、天野恵理子殺害事件の捜査は一向に進んでいなかった。あれほどの惨劇であったにもかかわらず、犯人に繋がる証拠といえるものは殆ど無かったからである。
 捜査員達の志気も下がり、今この件に積極的に関わっているのは、小島と恵だけになってしまった。そう、この事件はまだ終わったわけではない、二人の心の中にはそう感じさせるものがあったからだった。
 この頃になると小島の考えは変わりつつあった。
 中学校で起こった連続殺人事件、傷害事件、そして派出所の警官が殺された事件。それらにはどれも普通では考えられないことだった。自分は恵とともにそれらに関わってしまった。今度もそれと同じようなものではないか?既にハーリーティという存在とあっている。これは人が想像できる範囲を超えている。小島の胸の中にはそんな考えが浮かんでいた。
 しかし、それを口に出して言うことはなかった。相棒である恵に対しても…。
 同じ思いは恵にもあった。
 これまで起こった出来事も証拠がないか、残忍なものであった。
 何か人とは異なるものがこの街で事件を起こしている。そう感じていた。どうしてそれがこの街で立て続けに起こるのか、それは恵にはわからなかった。でも現実にそれは起こっている。まるで何かが引き寄せているように…。
 二人はどちらからも口を開くこともなく現状となった恵理子の家に向かっていた。
 これまでも何度もそこを訪れてている。その度に何か一歩踏み出せるものはないかを探していた。だが、血なまぐさい惨状となった冷たい部屋は何も与えてはくれなかった。
 そういえば一度だけその部屋はヒントとなるものを与えてくれた。
 それは最初の現場検証の時、いくつかの毛髪を彼らは手に入れたのだ。鑑識によって調べられたそれは複数の動物の毛だったことがわかった。だが、それは様々な動物のものであったため、恵理子が飼っていたものなのだろうということで捜査の網からすり抜けてしまった。
 確かに恵理子が飼っていた動物たちが彼女を襲ったという線も考えられなくはない。しかし大型犬などは全て鎖でつなげられていたか、ケージの中に入れたれていた。部屋の中で自由にされていたのはどれも小型の動物だけで恵理子に致命傷を与えられるとはとうてい思えなかった。
 そうこうしているうちに二人は恵理子の家の前に来ていた。
 既に黄色いKEEOP OUTのテープは剥がされ、開けられることのない、鍵のかかっていないドアが二人の前に佇んでいた。
 小島は溜息を一つつくと冷ややかなドアノブに手をかけてゆっくりとドアを開けた。
 冷たくよどんだ空気が二人を包む。
 二人は靴をビニール製のもので包むと事件のあった部屋に入る。
 果たしてそこには何もなかった。
 事件発覚当時にこれはと思われるものはあらかた署に運んでしまっていた。だから何も残っていなくても不思議ではなかった。
 壁には飛び散った血液が赤黒く固まってシミのように残っている。血だまりだった床も赤黒く染まっている。その血液を踏んだのだろう、大きめの獣の足跡が点々と続いている。
「やはり、人間の仕業ではないようだな…」
 小島は納得したくないという表情を見せた。
「そうですね…」
 恵が続く。
「だが、そう結論づけても良いのだが、一体どんな動物がこれを引き起こしたんだ?」
 小島が周囲を見回して言った。
「鑑識の話では複数の動物が関係しているのではないかということでしたね」
「そんな群れなら目立つはずではないか?それがあれ以来煙のように消えてしまっている」
 そう、恵理子の事件以来同様の事件は起こっていなかった。飢えた獣ならば同様に事件が起こっても不思議ではない。けれども小島の言うとおり煙のように消えてしまったのだ。
「あの、小島さん…」
 恵が言いにくそうな表情を見せる。
「なんだい、嬢ちゃん」
「あの、鏡さんに相談してみたらどうでしょう?あの人なら何かわかるかもしれません」
 小島は腕を組み、暫く考え込む。
 彼としてはそういうオカルトめいたことを認めたくはなかった。認めたくはなかったが、既にそういうものに関わってしまっている。この件もそうならば、もはや人間の力ではどうしようもなかった。
 それは小島にとって敗北と同じ意味を持っていた。しかし…。
 やがて小島は決心したように言った。
「そうだな、もはやそれしかないのかもな…」
 小島の胸に敗北感が広がっていった。