ふと、ホールを見ると、車いすのおばあちゃまがシートベルト状態になりながら車いすを自力で動かしていた。

……スリッパ、片方脱げてるし。ほっといていいのか、あれ。


 午後、ようやくお風呂の番が回ってきた。
このときのエピソードについては、鮮明に覚えている。

 というのも、精神保健学において、「ストレングス視点」と「エンパワメント」って言葉がよくでてくるのだけれど。
 これは、「できないことに注目するのじゃなくて、できることに注目して、どんどん本人の持っている力を引き出して、退院、社会復帰をめざそう」って考え方なんだけれど。


 基本、だと思っていた。
なのに、ね。

 お風呂の番が来て、私はナースステーション横の荷物預かり所に行く。
そこにはいくつかの棚があって、それぞれ患者の名前が書かれていた。

 私は、その棚の中から、自分の服を選ぼうとした。
こんな病院だもの、すこしでもかわいい恰好でもしなきゃ、ますます落ち込む。


 なのに、看護師が勝手に私の服を選んであてがおうとしてきた。
不愉快、極まりない。
 私はやんわり、わたされたTシャツを返して、ピースナウのロングシャツを手に取る。
それから、スカートをとろうとすると、
「待って、これはちょっと許可でてない」
と却下された。


 ……じゃあ、入れるなよ、棚に。
と思ったけれど、高感度ポイントをあげるため、私はおとなしく
「はい」
と答えて次を物色する。

 ナースはめんどくさそうに
「もう、これにしたら?」
と、母がもってきたのだろう、だっさいTシャツを再び渡そうとしてきた。


 ふざけんなよ、と笑顔で思いながら、結局ジーンズを選ぶ。
て、ジーンズの方が強力で、スカートで首をつる人なんかいないと思うけど、ね。

なんとかピースナウは死守できた。

 「エンパワメント」でいうなら、選ぶ能力のある人には
「これとこれとこれ、あるけどどれがいい?」
と選ばせるのが正解。
 介護しやすい服はたいていダサい、だから脳性麻痺の人なんかがよくスウェットを履かされている。
 でも、今の精神保健学では、「本人に生きる楽しみと喜びを」が大前提のはずだ。


私はこの女性ナースの名前をばっちり覚え、不愉快な人物として認識した。
……いや、違う。
知識の足りない人物、だ。
 確かに服を選ぶこと、着ることすら忘れてしまったお年寄りばかりを相手にしていたら、勝手に服を選んであげる習慣がつくのかもしれない。


 でもそのままじゃ、お年寄りたちはどんどん生きる楽しみを失っていく。

この人は、最近の精神保健についていけていない、残念な人。

 そう思うことで怒りは収まり、私はお風呂に向かった。


 此処は閉鎖病棟。
だけど、失っちゃいけない人権、プライド。


今日は泣かずに過ごせるかな。