突然のことに驚いて固まること数分。
私へと目を向けたその人は、持っていた荷物を落として、綺麗な表情を苦しげに崩して、
「…すみれちゃん、ね?」
そう、震える声で私の名前を呼んだ。
そう。
そうだよ。
すみれ。
わたしのなまえだよ。
ずっとずっと、呼んで欲しかった名前。
物心ついた時にはもう、呼ばれることは無かった名前。
誰なのかなんて全然分からなかったけれど、でも、すごく安心したのを覚えてる。
その日から毎日、その人は朝早くから病室へとやって来て、私が眠る時間に帰って行くようになった。
喋りもしない、笑いもしない、そんな私をずっとずっと笑顔で看病してくれて、優しく話しかけてくれるその人に、いつしか心は開かれていた。
嬉しい、悲しい、そんな抑えられていた感情がどんどんと戻って行って、いつも通りにその人が帰ろうとした時、思わず言ってしまったんだ。
「…かえっちゃうの?」
そう一言、ぽつりとこぼしてしまって、すぐにママだったらぶたれる、そう思って謝った。
「ううん、ちがうの、ごめんなさい」

