5月28日 (火) その4


 午後3時。

 授乳中に、夫が戻ってきた。




「その人に、名前がついてしまいました~」と報告。

 出生届は不備なく受理され、「元」中の人は、





『蓮』






 と命名された。



 妊娠当初にサクっと決まった名前だ。





 由来は、アンコールワットで蓮の花を見たとき、既に私の腹に潜んでいたから。


 

 のちのち調べてみたら、苗字との画数が少々悪かった。



 でも、この人にそれ以上ぴったりな名前は存在しない。




 アンコールワット。




 楽しかったな。







 そんでもって、


 帰りの飛行機で、めちゃめちゃ吐いた。






 もしかして、感染病になったかもと思った。

 検疫で止められたらどうしようと、すごい不安だった。




 その後も不調が続く私に、「プールの水を飲んだせいだ」と夫が責めた。

 私は、夫が「飲もう」と誘ったマルガリータのせいだと言った。

 喧嘩になった。






 まさか、と思いつつ試した妊娠検査薬で、陽性になった。



 血の気が引いて、目の前が真っ暗になった。




 堕ろすかどうか、本気で迷った。




 友人や姉に相談した。



 泣きながら、夫を何度も責めた。






 つわりも相まって、精神的にも肉体的にも、苦しかった。


 たまひよ、ビリビリに破り捨てたっけ。






 これまでの人生で、一番泣いた。










 色々あった。



 


 本当に、色々あったな。





 夫が、進んでミルクを上げてくれる。







 感慨深い。






 写メを撮ってみた。




 ……なんか、不思議な構図。



「やっぱり、その人がY(夫)の子供とは、信じられない」と私。

「オレ的には、M(私)がこんなの産んだことの方が信じられない」と夫。



「痛くてぐわ~ってなってるうちに、気がついたら生まれてたし、この人を見ても、まだ実感が沸かないんだよね」と私。

「産んだ後、死にかけてたしね」と夫。





 徒然と、会話は続く。




「この人、何型だろうね」

「Bかな~」




「昨日、この人の写メをウチの親に送ったら、可愛いって電話が来たよ」

「毛だらけだけどね」

「産毛がいっぱい生えてるのは、健康な証拠らしいよ」






「この人さあ……」






「この人が……」








 ‥‥‥‥‥‥







「名前はついたけど、こいつを『蓮』って呼ぶの、なんか恥ずかしい」と夫。

「ずっと『中の人』だったから、急には呼べないね」と私。






 やっぱり、私たちは、普通の親よりも未熟なのかもしれない。


 わりと歳は食ってるけど。








 それでも、今この瞬間。




 本当に、初めて





 赤ちゃんと夫を眺め、




(ああ、なんか幸せかも)





 と、思った。

















 ……小説なら、これで『完』となりそう。





 でも、


 残念ながら、私の入院はまだまだ続く。








 部屋が騒がしくなった。



「このベッドになります」

「荷物はどこに置けばいいですか?」

「洗面所の横に、ロッカーがあります」





 なんだろうと、カーテンの隙間から盗み見る。



 斜め向かいのベッドで、年配の女の人と若い男性が、持ってきた荷物を広げて、あれやこれやと作業していた。




 その後、点滴を引っ張り、助産師さんに支えられながら、入院着の女性が入って来る。





 と、いうことは、つまり……




「~さん、夜までには、赤ちゃんと同室できますよ」









 一難去って、また一難。








 今夜も、長くなりそうだ。