とある神官の話




「今の俺は機嫌が悪いんだよっ!」




 そんなことは敵には全く意味がないのだが、言わずにはいられなかった。
 レオドーラが蹴り飛ばした新人は、同僚に庇われていた。乱暴ではあったが、死ぬよりはマシだろう。

 幽鬼には遭遇したことがある――が。
 何でまた、と思う。

 こんなバルニエルの街近くにいるんだ?
 バルニエルには勿論結界があるから、普通ならばあまり近寄らないはず。何か、そう、目的でもあるのか…?

 難しいことはさておき、だ。
 図上で花火のようなものが上がる。それはもし何かあった時の場合に使う印なのだ。術がかけられ、周囲の仲間にも気づくようになっている。同僚がやったらしい。「時間を稼ぐぞ!」というそれに、「新人しっかりしろ!死ぬぞ!」と怒鳴る。
 厄介なことに幽鬼はもう一体、ぬっと姿をみせ、新人と同僚が相手をしていた。新人は避ける、逃げるのが精一杯だから実質上戦えるのは同僚のみ、といえる。




「なんだ…?」



 しかし、だ。
 急に幽鬼が攻撃をするのを控えながら後退していく。
 レオドーラと同僚は攻撃をしながらも様子を窺っていた。その時、幽鬼が何か言ったような感じがしたが聞き取れない。ああ、そうだ。シエナのときもこんなだったな、などと考え事をしたのが悪かった。




「レオドーラ!」




 ―――しまった。
 同僚らが相手をしていた幽鬼の手が伸びる。そしてレオドーラの体が浮いた。
 掴まれた腕が軋むほど痛む。それよりもぞっとする何かのほうがレオドーラを硬直させた。邪悪な、何か。

 ああ、なんだ…?
 頭の中が真っ白になる。
 今、自分は馬に乗っている。いや、違う。乗せられたのだ。後ろでは自分を呼ぶ声がした。だが返す力はない。

 なにやってるんだっけ、俺。
 違う。そうだ、そう。



 並走しているもう一体の幽鬼が見える。同僚らはどうなったか。今はわからないが無事を祈るしなかい。あの場所にいれば仲間が来るだろう。
 
 さて、どうする。

 レオドーラはただのリムエルの神官である。そんな自分を何故?
 知るかよ!

 大きなメインの剣は落としてしまったが、と肩に感じる幽鬼の手の冷たさを感じながら、ゆっくりと片手を腰へと向ける。幽鬼はそれに気づくが、レオドーラの狙いは別にそこにはない。
 まずは、降りることだ。
 かなり痛いだろうが、鍛えているし丈夫だしな俺、とよくわからないそれを思いながら、レオドーラは思いっきり幽鬼を巻き込むようにして――――馬から落ちた。

 衝撃。衝撃衝撃衝撃!
 何度あったかわからないが、転がりながら体勢を建て直して森へと逃げ込む。

 走りながら「あーもー、くそやろう」ともう暴言を吐き「あの野郎。なんだってんだよ」と続ける。
 これだけまだ悪態をつけるし文句も出るなら、まだ元気だ。レオドーラは背後に気配を感じながらも足を止めない。

 バルニエル近郊であるから、とレオドーラはほぼ勘で走っていた。
 元々バルニエルの神官であるので、得意といったら得意なはず――――と少々不安ではあるのだが、不安だろうがなんだろうが、今は仲間と合流しなくてはならない。
 


 美しい自然。
 レオドーラはバルニエルが好きだった。リムエルだからなのか、とにかく豊かな緑を見るとほっとする。
 そういえば昔、一人で結界の外に行くなといわれたのに抜け出したのがバレて、アーレンス・ロッシュにこっぴどく怒られたことがあったなと思い出した。




「なんつーことを思い出してるんだよ俺。死ぬわけでもねーのに、少し早い走馬灯かよ」




 冗談じゃねえ。