―――ノーリッシュブルグ。


 ここは雪の多い土地ではあるが、今は季節が季節故に暑さが身をこがすようだ。噴水や木陰で涼んでいる人々の姿をよく見かける。
 歴史的建物も多く、観光客もやってきていた。かつての王族の離宮を見たりするのだろう。
 ハリベヌス一世の話はノーリッシュブルグでは有名なものであり、その話は国王が教皇となる前の話である。離宮というのは、ハリベヌス一世の妻ミゼレットのために建てたのだという。ノーリッシュブルグを故郷とするミゼレットはさほど身分が高くなかった。そのため彼女は国王の求婚を何度か断るも、王は諦めなかった。何度も王はミゼレットのもとへ向かったという――――。



 そこまで思いだし、ミスラ・フォンエルズは疲労というよりも暑さに体力を削られているような顔をしていた。
 能力で氷を作り出し、涼をとるものの仕事は進まず、部下は悲鳴をあげながら仕事をし「フォンエルズ枢機卿!」と泣きそうな顔をしているとかないとか。

 ハリベヌス一世があの男で、ミゼレットが彼女。
 猛烈(?)なアプローチをかわすシエナ・フィンデルと、諦めずにいるゼノン・エルドレイスのようだな、などとミスラは思う。

 ゼノンはともかく、"あの"シエナ・フィンデルはごく普通の女だった。セラヴォルグという変わり者に育てられ、そのあとはアーレンス・ロッシュのもとで育った彼女。
 彼女は今危険であるか否かといわれると、ミスラはそう簡単に答えが出せない。が、彼女にはウェンドロウの件もそうだが、セラヴォルグと出会う前のことが全く不明なのだ。それに彼女は"能力持ち"の、珍しい"魔術師"であるということも危険視されるひとつだろう。
 知らない、わからないということは怖いのである。


 アーレンスと電話で、ミスラは怒声を聞いた。思わす受話器から耳をはなし、怒声が聞こえなくなったのを見計らってから、再び耳を近づけ「落ち着け」という。だが相手はシエナを自分の娘のように思っている男だ。しかも武に秀でた種族ゆえ熱くなりやすい、というのもあるのか。
 ミスラは溶けかけた氷を新しいものに作りかえる。




「気持ちはわかるが、お前が落ち着かなければ動ける完全な見方は減るのだぞ」

「っ……ああ、そうだな」




 すまない、というそれに「しかし、それが親というものだろう」とミスラはいう。アーレンスでさえこうなら、セラヴォルグならばもっと激しいかもしれないな、と思った。
 娘のように思っているというのが痛いほどわかる。他人ではあるが、自分の息子たちと変わらないくらい、彼はシエナを大切にしていたのだ。それに、とミスラもシエナをそうやすやす死なせるつもりはない。

 シエナ・フィンデルとは、ミスラは会っている。美人ではないし、エリートでも秀才でもない。だが、何だろう。あのセラヴォルグと生活しただけのことがあってか、少々同年代の者とずれている気がするが、ミスラには嫌ではなく、むしろ好ましいとも思った。

 彼女のまわりには誰がいる?

 ゼノン・エルドレイスに、ランジット・ホーエンハイム。アゼル・クロフォードや、キース・ブランシェ。そしてヨウカハイネン・シュトルハウゼン……一癖のあるものばかりではないか。
 変人ばかりで、これも一種の才能かもしれぬとミスラは思う。

 危険だから、なんだ。
 過去がなんだ。





「お前の息子はもう元気なのか」

「ああ。しかしシエナのことがあって落ち着かないままだ。それで、ヴィーザル・イェルガンの方はどうなっている?」

「奴も無事だ。しかし、麻薬中毒が厄介だろうな」

「…麻薬中毒か」




 リムエルの"隻腕の剣士"。
 そんな渾名がつけられるほどの腕を持つ男は、元々地方神官である。しかしアガレスが起こしたあの事件当時、運悪く彼は聖都にいて―――現場にいたとされる。その時死んだとされていたのだが、生きていた。
 何がどうなって、そうなったのか。
 アーレンスの声は重く沈んでいる。知り合いであるなら余計なのだろう。




「ヴィーザルが当時聖都にいたのは、本当に偶然だったそうだ。報告書なんかを提出するためにらしい」